月姫 空夢の間[四]



 一、二時間ほどで救助活動は終了した。死者は、四名。他の住民は、深手を負った者も多くいたが、何とか助け出すことが出来た。遅れて駆け付けて来た医者により、素人ばかりで行っていた怪我人の治療もはかどり、事態は収束に向かっていた。しかし、助けたかった、と満月は思う。あの状況でこれだけの命を救えたのは満月の采配が良かったからだと玉兎や狐鈴は言ってくれたが、それでももっと力があれば救えたのではないかというやるせない思いが胸を掠める。
「この国では、どうやって亡くなった方を弔うの?」
 悲しみに打ちひしがれる四名の関係者たちを見つめ、満月は遠慮がちに玉兎に尋ねた。
「火葬するんだ。この国では、火は聖なるものだからね」
「どうして?」
 興味深そうに満月が尋ねれば、玉兎は考え込むように沈黙した。
「この国では、容れ物としての体を失った魂は、曜に回帰するとされているんだ。だから、死んでしまうと、体と魂を切り離す。そのために体を燃やす。炎が聖なるものとされているのは……火の鳥が国の象徴だから、かな」
「火の、鳥……」
 満月は、玉兎の言葉を反芻した。最も重きが置かれていると思われる彩章の出現によって、特に言及しないままここまで来てしまったが、そういえば昨夜、有り得ないものを満月は目にしてしまっていたのだった。
「昨日、上空を飛んでた朱い鳥のこと?」
「そうだよ。彼女の名は、赤鴉」
 確か、そのような名を彩章も口にしていた。ならば、赤鴉という名の国の象徴的存在も、日に味方しているということだろうか。
 玉兎に尋ねようとしたところで、満月は周囲の注目を集めていることに気づいた。うるさかっただろうか。何しろ、四名もの死者を出している。そんな場で好奇心を剥き出しにしているのは良くなかったかもしれない。そんな後悔をしている満月に向けられた言葉は、彼女の憂慮とは全く別の所にあるものだった。
「何を、企んでいるんだ?」
 気づけば満月と玉兎の周りには人垣が出来ていた。どの顔も、恐怖心と好奇心とを綯い交ぜにした複雑な表情をしている。
「企むってどういうことですか?」
 民衆の問いかけは、満月が助けた狸が口にしたものと同じ所に通じるものだろう。禍を起こし人々を苦しめたはずの月が、今更人々を助けるためにしゃしゃり出てきたのを、疑問に思っている。その疑問が出てくるのは、当たり前のことなのだろう。けれど、ただ助けたい、という気持ちが企みとしか受け取って貰えないのが悲しかった。こんな気持ちを、月神も玉兎も長い間味わってきたのだろうか。
「今更、助けるような真似をするのはどうしてよ。何をしたって月に信頼は戻らないわ」
 鶴の娘が言った。記憶が正しければ、満月が輪国に連れて来られた日、陽気に物売りをしていた娘だ。
「玉兎が、何度も言ったはずよ」
 口を挟んできたのは、狐鈴だった。
「さっきの、蒼い光を見た? あれが、月神様の本当のご意思よ。こんな風に私たち民が誤解をしているのに、それでも月神様は私たちを助けてくださるのよ」
 きつく言われ、住民たちは顔を顰めて何事かを囁き合った。今の一件で信じるようなら、端から自国の曜神を疑うようなことはしていないだろう。説得はやはり、相当難しいようだった。しかし、これがまたとないチャンスであるということが満月にも理解出来た。玉兎の言葉さえまともに聞かなかった住民たちが、自ら月に興味を示している。この機会を逃す手はないだろう。
 どのように説明しようかと考え込んだ満月の耳に、人々のどよめきの波が押し寄せて来た。慌てて満月は顔を上げる。皆、愕然とした表情で空を見上げていた。つられて、満月も空を仰ぐ。驚愕に見開かれる目に映るのは、朱の翼。その翼は、優雅に羽ばたき、確実に満月たちの居る街の中心部を目指していた。
「……玉兎!」
 あの鳥も日の者だというのなら、何の戦力も持たない満月と玉兎がここに二人きりで居るのは非常にまずい状況に違いなかった。
「大丈夫。いくら日でも、民を巻き込むような真似はしないよ」
 そう言いながらも、玉兎の瞳には険としたものが混じっている。逃げる? と満月は視線で尋ねたが、その方がきっと危ないとの答えが返って来る。群衆が、畏れ慄き、広場にぽっかりと空地をつくった。会釈するように、赤鴉は首を振って見せる。満月は、赤鴉が舞い降りてくるのをじっと眺めているほかなかった。
「嘘……」
 満月は、数歩後退した。火の鳥から音も立てずに降り立った男の茶褐色の髪が、僅かに吹いた風にさらりと揺れる。晴尋だ、と一瞬の内に解した。
 怖い、と思った。月宮殿で相対した時には、日の力に対抗し得る力を持つ月神が居た。しかし今は――その月神さえおらず、彼はきっと月の者を殺すことに躊躇いなどないのだろう。
「月姫、僕が必ず守るから。大丈夫」
 玉兎の瞳に映った自分は、どれだけ頼りないものだっただろうか。危険を承知で、この国に来る選択をしたのだ。輪国を、月を、月神を救うと、救えれば良いと思った。そのためにこれまで尽力してきた玉兎はきっと、これくらいの危険には慣れっこなのだろう。その玉兎が頼りにする月姫がこれでは、申し訳が立たない。
 どうして、私が月姫なのだろう。仕舞い込んでいた不安が、痛みと共に浮上する。
「これは、月姫様」
 真っ直ぐに晴尋の瞳を見つめ返したのは、せめてもの虚勢だ。玉兎がさりげなく、前に進み出て満月を背中に庇った。
「玉兎。そういうのは、嫌だ」
 やっとのことで絞り出した反抗の言葉は、余程、情けないものだったのだろう。玉兎が、戸惑いがちに満月に目をやる。
「少なくとも、私が、守られるお姫様じゃないって思いたいよ」
 玉兎が目を見張ったように、満月には見えた。視界が滲んでいたから、若しかしたら気の所為かもしれない。
「怖いけど、玉兎に守られるような月姫でいて良いはずがない――ごめん、むちゃくちゃなこと言ってるね」
 一歩ずつ、こちらに近寄って来る晴尋の瞳から目を逸らさずに、満月はそう呟いた。
 対抗し得る力を持たずに、虚勢を張るのは、愚かな選択だっただろう。けれど、自分の所為で玉兎が傷つくのは嫌だった。幼い玉兎よりも、女でも肉体的には成熟しつつある満月の方が、多少は晴尋に対抗出来るかもしれないのだ。
「日御子。何が目的? ここに来たのは私たちを殺すためなの? 被災した方たちのためにこの地を訪れたんじゃないのなら、早く立ち去って。ここで戦闘を起こすことは暗愚なる選択って奴じゃないの?」
 動揺しているからか、満月は言葉が口からどんどんと滑り出て行く心地がした。妙なことを口走ってしまわないかと、言いながら不安になる。
「なるほど。しかし、全ての元凶が月にあるというならば、何が一番取るに相応しい方法でしょうね?」
「ここでは、人が亡くなっているのよ! それなのに、そんなこと言うの?」
 怒鳴り散らせば、民衆の不安げな顔が満月に集中した。
「元凶を、みすみす逃し、再び同じ禍を招くことこそ、皆さんは望んでおられない。そうではありませんか?」
 民に呼びかけるように、晴尋が言えば、そうだそうだという声が所々から湧き上がった。
「この禍は月神様がお一人で招いたものじゃないよ。禍が起こっているのは、日月の力が傾いているからか、若しくは計都が蝕に近づいて行っているから。今回は凄く良くない気が充満してた。一番可能性があるのは、計都による禍だよ」
 くすり、と嗤う声がした。ソプラノを奏でる歌姫のような、美しい声だ。
「まだそんなことを言っているの? 月は破滅の道に進みたがるのね」
 何者だろうか、と見渡して、満月は翼を休めた朱の鳥がこちらを注視していることに気づいた。満月の視線を受け止めて、朱の鳥は上品に微笑む。
「初めまして、月姫。ご存知かと思うけど、あたしが赤鴉よ。以後……があれば宜しくね」
 民衆に離れるように申しつけた晴尋が、外見に反して軽口を叩く赤鴉の首を、咎めるように少し雑に撫でた。それとも、彼女は本気でそのようなことを言ったのだろうか。それが有り得るような気がして、満月は背筋が薄ら寒くなった。
「月を亡きものにすれば、禍が治まるとでも思う? 余計、皆苦しむことになるだけだよ。日神に、一人で輪国は治められない。決して」
 挑むように告げた玉兎は、地面にぴったりと足を付けたままそこを動かない。徐々に近づいてくる晴尋に殴られようが刺されようが構わない、といった様子だ。満月は足が後ろに下がりそうになるのを、そして全身の力が抜けそうになるのを、必死で我慢した。
 一歩、また一歩と、距離が狭まる。晴尋から伸びた影が、満月を捉えた。晴尋の腕が伸びれば、きっと満月の首など、簡単にへし折られてしまうことだろう。
 腕が、伸びたと思った。その時だった。
「日御子様!」
 満月の前に躍り出たのは、彼女も良く知る少女だった。狐鈴の碧色の瞳に、揺るぎない光が灯る。
「お願いです! どうか、どうか満月たちを殺さないで」
 狐鈴の声も、身体も、小刻みに震えていた。満月と同様に、地面に足を着いているのもやっとの状況だということが垣間見える。
「どうしてです? 月が無くなれば、貴女たちも禍などに苦しめられずに平穏に暮らすことが出来るのですよ」
 晴尋は困惑した様子で、けれど慎重に言葉を選びながら穏やかにそう告げた。
「月の所為だという証拠はどこにもありません。それに……彼らが居なかったら、私たち九尾亭の者は全く受け入れられることはなかったわ」
 狐鈴は、きゅっと唇を結んだ。月の欠片を集める目的があったとはいえ、月だけが、日属・月属間の溝を埋めるために動いてくれたのだ。それも、月にとってかけがえのない存在である満月と、玉兎が。それが、狐鈴に、どれだけの希望を与えてくれたか、晴尋は知らない。
「日属・月属の和解が遅れていることはこちらの不手際です。それは大変申し訳なく思っています。しかし、そもそもの原因を作ったのは――」
「月の言い分を信じないのは、どうしてですか。月の言葉が真実ならば、」
 そこで、晴尋は深い溜息を吐いた。
「こんな罪のない少女までも、惑わしたのですか。月は」
 ふつふつと、怒りが込み上げて来るのを、満月は感じた。
「……そうやって、軽くあしらって、月の言葉聞かないで人々を苦しめているのはどっちなの。月神に呪を掛けて、事態は好転した? 一度でも、計都を見に行った?」
 睨みつけて満月が言えば、晴尋の嘲笑とも取れる笑みを返された。
「だが」
 拳を震わせて立ち尽くす狐鈴の肩に手を置き、端伎がぽつりと零した。
「この街は、救われたよ。日御子さんでもなく、日神様でもなく、月の者に」
 そうだろう、という風に端伎は臆することなく辺りを見回して見せた。段々と、九尾亭の面々が、狐鈴の、そして満月と玉兎の周りに集まり始める。
「それも、月の思惑の内です。月の先代が羅睺神を殺し、そして輪国に悲劇の時代を招いたのは明白なことですよ。今も、計都神を亡き者にしようと画策しているのかも知れない!」
「俺は」
 誰かが、人垣の向こうで声を上げた。その声につられるように、あれだけいた人の群れは、簡単に割ける。分けられた人の壁の先に居たのは、片足を引きずり、棒を支えにこちらに近寄って来る狸の親父だった。
「あの時代に家族を亡くした。全部、月の所為だって恨んできた。月神なんて、殺してぇ、そうずっと思ってきたんだ。だから、月の言い分とやらは、今まで馬鹿らし過ぎて、悔しくて、憎くて、全く聞いて来なかった。だけど、分からねぇんだ。どうして、月が……あれだけ俺が月を罵っておきながら、放っておいても別に文句は言われねぇのに、俺を助けたんだ? 月がこの禍を招いたんなら尚更じゃねぇか。月が本当にいかれてるんなら、そんなまどろっこしいことするか? 俺だけじゃねぇ。その女も、そこの兎も、この街の住人に前来た時に石はぶつけられるわ、罵倒されるわ、酷いことされてんだ。信頼が欲しいだけなら、もっと違う町や村を選んだって良い。もっと都市に行けば、噂だって広まりやすいだろうよ。月が民を命懸けで助けた――そんな噂が広まれば、ちょっとは月を見直す奴が出てくるかもしれねぇ。それなのに、何だって」
 狸は、そこで言葉を切った。狸を支えるように、ねずみの子が隣に立つ。
「分からないよ。月は、悪い奴なんじゃないの? 僕らを苦しめようとしているんじゃないの? なのに、どうして僕をあのお姉ちゃんは助けてくれたの?」
 ぼろぼろと、涙が零れた。そんな場面じゃないと分かっているのに、満月の涙腺は、決壊したように水分を止めなく放出する。それは、玉兎も同じだったのか、彼の踏み締める地面を濡らすものがいくつもあった。
 まだ、全てを理解してくれた訳ではない。しかし、疑問を抱いてくれたのだ。満月と、玉兎の行動によって。月神の、人々を救いたいという志によって。
 晴尋は、居心地が悪そうに、顔を顰めた。
「月の疑いが晴れた訳ではありません」
 そう言葉を短く切って、晴尋は踵を返した。困惑気味の赤鴉が、晴尋を気遣うように優しく鳴いた。
「今日は、見逃しといてあげる。でもね、悪事を働いたものの罪は、必ず白日の下に晒されるのよ」
 赤鴉は、満月と玉兎を澄んだ瞳で眺めると、人々に微笑んだ。上昇しながら、晴尋にしたように、柔らかに鳴く。全てを包み込むような歌声は、被災者たちの心に安らぎを与えた。
 その様を見送り、満月は玉兎の手を取った。何よりも暖かな感触に笑みがこぼれ落ちる。人々のつくる輪の中心に向かって、満月と玉兎はゆっくりと歩き出した。
 全てを、真実を話す、時が、来た。


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