鬼の血脈 七つの福音[四]



 海堂に連れられた千日が若槻や灰色パーカーと合流したのは繁華街にある二十四時間経営のファミレスの店内だった。深夜一時半を回っているため、店内に客は殆どいない。浮浪者のような格好をした中年の男が目線の先に座っていたが、あの長身長髪の男でないと知って千日はほっと息を吐く。一気に夢から現実に引き戻されたような感覚がするが、千日の周りを固める海堂や若槻や灰色パーカーの存在が、千日をまだ現実に引き戻すまいと主張しているようだった。
「……何なの」
 千日の第一声はそれだった。
「あれは夢? あれは何? ていうかあんたらも何?」
 早く家に帰りたい。そしてシャワーを浴びて、この珍妙な出来事を雨でずぶずぶに濡れた身体もろとも綺麗さっぱり押し流してやりたい。
「天財さん、落ち着いて聞いてくださいね」
 切り出したのは、この中で最も口が上手そうな若槻だった。包帯が何重にも巻かれた身体は痛々しいが、千日に彼を気遣っている余裕などどこにもなかった。
「貴女は、俺たちの天女なんです」
 ……………………。
「は?」
 長い沈黙の後、千日はそう一音だけ言葉を発した。
 若槻は、化け物との戦いでどこか頭のネジが飛んで行ったに違いない。
 若槻を無視して海堂と灰色パーカーに目を移せば、彼らは平然とした顔で千日を見返してきた。
 大変だ。空気感染だったに違いない。千日は思わず息を止める。
 自分で自分のことを天女とか言い出したら、穴を掘って埋まったとしても羞恥で悶え死ねる気がする。
 どれだけ待っても誰もツッコミを入れる気配がなかったので、千日は思わず止めていた息を吐き出し、テーブルを叩いて立ち上がった。
 人気が少ないとはいえ、存在はしている客と従業員の目が一斉にこちらに向く。
 千日は数秒の後、大人しく椅子に腰掛け直した。
「い、良いわ。とりあえず、うん。そこの灰色の人。助けてくれてありがとう。自己紹介がまだだったよね。あたしは天財千日。あなたは?」
「……名乗りもあげず、失礼した。名は佐倉さくら凌。大黒天だいこくてんだ」
 佐倉はそう言うなり、黙りこくった。出現以来、フードに覆われている目元が露わになる様子はまだない。店内に入っても、佐倉はフードを被り続けている。そこはとりあえず置いておいて。
(何が大黒天なの!? 何が!)
 それもまた、若槻の言っていたコードネームか何かの一種だろうか。
「えーと。うん。佐倉さん、ね。あはははは。うん、大黒天っと」
 ヤケになって大きく頷くが、何と言うかこの奇妙な空気はどうにも吹き飛ばない。
「おい、てめえ、信じてねぇな」
 海堂が大盛りの牛丼から手を離して千日を睨みつける。
 あんなことがあった後で、よくそんなに物を食べれるものだな、と千日は胡乱げに海堂を見た。ちなみに、天女とかそういう話は信じる信じない以前の問題なので軽くスルーする。
「まあ、天女――弁財天と言い換えても良い。お前は俺たちを束ねる頭なんだよ。気に喰わねぇが」
 気に喰わないのならさっさと退散してください。そう言いかけたが、化け物と長身長髪の男のことを思い出して踏み止まる。
「あの鬼たち、見ただろ。あんなもんが跋扈してたら、この国は滅んじまう。だから俺たちがその征伐を任されることになったんだよ」
「そうなの。うん、そうね。あんたたち何かすごいもんね。頑張って! あたしはそんなヒーローたちの活躍に関われた栄誉ある一般人の一人として、あなたがたの活躍を草葉の陰から見守っています」
「てめえ! 俺たちの話聞いてたか! つーか草葉の陰からって使い方ちげーよ!」
「うっさいわ! 細かいことにこだわってないで、その妄想話について今一度よおぉく考えてみなさいよ! 言っとくけど、あたしはただの一般人だからね! 今日お風呂入ったらもう何もかも忘れてるんだからね!」
 ヒートアップしていく千日と海堂の舌戦を、若槻がまあまあと諌める。佐倉はただ静かに席を立って、ドリンクバーのおかわりに行った。
「天財さん、信じられないかもしんないですけど、俺たちは本当のことを言ってます。貴女は人違いでも何でもなく、俺たちの仲間であり、頭であり、守るべき人です」
 若槻の真摯な瞳がまっすぐに千日を見てくる。
 思わず黙りこくった千日に、追い打ちをかけるように若槻が囁いた。
「怖いとは思いますけど、俺たちについて来てください。天女」
「そうだぜ、天女。こんだけ琢真が頼んでやってんだから、早く落ちろ」
 千日は、先ほどとは別の意味で沈黙した。
「だから何なのよその天女って!! 戦隊もののショーのバイトなの!? それとも何かのキャンペーンガール?」

 ファミレスの中で夜を明かし、外に出たのは太陽が東の山に登ってきた頃だった。
 一人になったらあの鬼たちに今度こそ確実に捉えられると脅され、渋々四人でタクシーを捕まえて目的地へ向かう。何てリッチなのかというツッコミは聞き流された。ちなみに千日が料金を払う気は毛頭ない。もし海堂辺りに促されても断固拒否する所存だ。
 本当に、今日は最悪な誕生日である。色々ごたごたしたせいか、誕生祝いのメールを誰にも返していない。そんなことを考えられるだけ、自分はまだ余裕があるのだろうと千日は思う。
 車に揺られていたら、何だか眠くなってきた。ファミレスでは、正直まだ化け物と長身長髪の男への恐怖や海堂たちへの不信感もあって、眠れなかった。でも流石に、濃すぎる一日を過ごしたせいか、嫌でも眠気が襲ってくる。
「眠っても構わないっすよ」
 脇を固めた若槻が気を遣ってそう言ってくれる。
「なら天女はこちらに寄りかかれ」
 突然右隣に座っていた佐倉がそんなことを言い出したので、千日の眠気は吹っ飛ぶ羽目になった。
「いや、いやいや結構です」
 そんな他愛もない話をしている内に、目的地へと辿り着いた。
 海堂が金を払い、外へ出る。
「あれが、俺たちの根城です」
 そう若槻が指差した方向には、巨大な白い建物がいくつも立ち並ぶ広大な敷地が広がっていた。周りに他の住宅などはなく、どこかよそよそしさを感じさせる。
 門の表札を見れば、国立防衛研究所との文字が彫られている。何故、そんな所にこんな高校生くらいの人間が住んでいるのだろう。
 というか、いくら家族が居ないとはいえ、のこのここんな所まで着いて来てしまって良かったのだろうか。否、確実に良くないけれども。
(でも、国立って何か、ちょっと安心感があるかも。ちょっと名前は物騒だけど)
 これで廃墟やどこかの海辺の倉庫などに連れて行かれていたらたまったものではなかったが、こういうちゃんとしている所ならまだ信頼が持てるかもしれない。
「ひとまずは所長に報告に行かないといけないなあ。天財さん、もうちょっとしたら休めますんで、もうちょっとだけ我慢してください」
「あ、あんたと佐倉さんは大丈夫なの? 早く病院に行った方がいいって」
「天女が心配することではない。それに――」
 言いかけた佐倉は、前方の方を見つめて口を噤んだ。
 何やらやたら背の高い細長い男がこちらへ向かって走って来る。
 男は千日たちの目の前までやって来て立ち止まると、呼吸も乱さずに爽やかに微笑んで言った。
「初めまして、天女様。僕は九重このえりつです。ちなみに寿老人じゅろうじんです。老人とか入ってるけど、まだ二十四だから誤解しないでね」
「はあ……あたしは天財千日です。天女はやめてください」
 ちなみに天女呼びをやめるようタクシーの車内で三人にも言ったが、佐倉はまだそれをやめてくれない。
「じゃあ、千日ちゃんで。僕のことは何とでも」
 気を悪くする様子もなく、九重が言った。何だか、凄く普通の人だ。この人となら、友達になれる気がする。
「と。琢真、凌ちゃん、怪我してるね。早く医務室においで。陸は千日ちゃん連れて、所長の所行ったら、また彼女連れて戻って来てくれる? 怪我はしてないみたいだけど、ちょっと疲れ果ててるみたいだから」
「分かった」
 海堂がそう承諾すると、千日は若槻たちといったん別れて所長とかいう人が居るらしい場所へ向かって歩き始めた。
 研究所には、大きな建物が九つあった。内、三棟は居住区であり、研究所の西に同じような形で並んでいるのがそうだという。その隣にあるのが研究員たちの共有施設で、そこで食事や風呂を済ませるらしい。ちなみに居住区でも簡単な食事を取ることやシャワーを浴びることは可能らしい。
 東端にあるのは演習場だという。その隣には、何に使うのだか知らないが、学校のグラウンドのような砂地が広がっている。
 敷地の真ん中より少し北に行った所にあるのがセンターと呼ばれる建物で、敷地内で一番の大きさを誇っている。最北端にあるのが研究所と呼ばれる施設で、これまた居住区と同じように、似たような形の建物が三棟、横に並んで建っていた。
 それぞれの建物は距離が離れていて、敷地内にはまだ十分余っているスペースがある。流石国家機関なだけある。兜京でこのように広い場所は、滅多にお目にかかれない。
「所長はセンターの所長室か会議室にでもいるだろ」
 海堂がそう言うので、千日は少し怖じ気づきながらも黙ってついて行く。国立研究所の所長というのだから、やたら小奇麗な似合わないスーツを着たひげ面のご年配の人がそこでふんぞり返っているか、若しくは滅茶苦茶気弱なオタク体質の白衣の人間がひたすら資料と睨めっこしながら顕微鏡を覗いているに違いない。どちらがましか考えて、千日は結局結論を出せなかった。
 センターと呼ばれる建物に入ると、千日は注目の的になっていた。
 建物の外には殆ど人が居なかったが、建物の中となるとこれだけ大きい施設だけあって、人の数が多い。行き交うたびにじろじろと無遠慮な視線で貫かれ、千日は居心地の悪さを感じた。そうでなくても、遠くから盗み見るかのようにこちらを見てくる人々が山ほど居るのだ。
 エレベーターに乗って、上階へ向かう。居合わせた人物はやはり、千日の事を覗い見てきた。
 天財さんが気に入るかはちょっと分かんないっすけど。
 若槻の言葉が蘇る。とてもじゃないが、気に入れそうにない。
「ねえ」
 耐え切れず、千日は海堂に声をかけた。海堂は面倒くさそうに千日を振り向く。
「やっぱ絶対人違いだよ。あたし、今まですごい普通だったもん」
「あーもう、うっせー。そう言われても、俺はそうだとしか言えねえよ。文句があんなら所長に言えって」
「人を拉致しといて無責任すぎるのよ」
 悪態を吐いてから、千日は暫し考える。
 文句を言うなら、ふんぞり返った所長か白衣のオタク所長か、どっちが良いだろう。
 やっぱり気弱な白衣だな、と意味もなく結論付けてから千日は海堂に続いて所長室に踏み込んだ。目線を前方にやれば、白を基調としてまとめられた部屋のデスクに頬杖をついて座っている男が見えた。
 驚いたことに――想像していたよりぐんと若い。髪の毛は明るい茶色をしているばかりか、端正な顔立ちをしている。ひげ面どころか、無精ひげ一つない。
 その人物は、千日と海堂に気づくと目線だけ寄越して微笑んで見せた。
「やあ、君が天財千日さんかな。色々大変だったね。道中あいつら、ちゃんと優しかった? 僕は神屋幸光っていうんだ。一応、ここの所長かな」
 人好きのする笑みだった。しかし先ほどまでの居心地の悪さのせいか、千日は上手く言葉を返すことが出来なかった。何だか、ひどく身体が締めつけられる。
「あ、あの。あたしが天女とか何だとかっていうのは、多分間違いだと思うんですけど――」
 どうにかそう言ったが、神屋は顔色一つ変えずに笑って言った。
「信じがたいとは思うよ。戸惑いもあるだろうね。けど、君の仲間は気の良い連中ばかりだから、きっとここに慣れる。君が暮らしていた家の方や学校の方の処理はこちらで済ませておくから、外のことを心配する必要はないよ。今日は疲れただろうから、詳しい話は後にして、休んでおいで」
 気遣うように揺れる目線が優しい。だが千日は口を噤めなかった。
「学校って――学校の処理って何ですか。ここで暮らすのは何となく分かりましたけど、学校の処理って……」
 多分、欠席連絡ではないだろう。千日はぐっと拳を握りしめて神屋の言葉を待つ。
「残念だけど――学校の方はやめてもらうことになる」
 断定口調で、神屋は言った。
「な、何で! ですか。あたし、別にこの人たちみたいな身体能力はないし、今日初めてあれのこと知りました。全然ここにはそぐわない人間です。あたしが学校をやめなきゃいけない理由って何ですか!」
 噛みつくように言った千日を神屋が気の毒そうに見つめる。
「君が琢真たちと違うかどうかはとりあえず置いておくけど。君がたとえ今日あの存在を知ったのだとしても、連中の狙いは君だ。一度襲われたのなら嫌でも分かるだろう。連中は、陸でも琢真でも凌でもなく、君を狙った。家に戻れば家に襲撃に来るだろうし、学校に行けば、学校にさえ連中が現れるだろう。その意味が分からないとは言わせないよ」
 思考が凍りつく。その意味は――その意味は、賑やかだけれど平和な教室に、あの異形のものたちが鋭い爪と牙をぎらつかせながら、やって来るということ。必然的に、海堂たちのように身を守る術など持たないクラスメイトは死ぬ。それどころか、生徒も教師も皆、犠牲になるかもしれない。千日一人のために。
「で、でもあたしはこれまで十七年間、一度としてあんな化け物見たことありませんでした。あたしが狙われてるっていうのは、今日あの場に居た人間の中で一番弱かったからじゃ……」
 何だか言い訳をする時のように弱々しく自分の声が響いている。
 だが、これまであのような人外の化け物を見たことがなかったのは本当だ。もし狙われていたというのなら、何故十七になった瞬間こんな非日常的生活が始まってしまったのか。
「それに仮にあたしが狙われているのだとして、見ず知らずのあなた方があたしにそんなに親切にしてくれる理由って何ですか。訳が分かんない」
 半ば吐き捨てるように千日が言った。
「僕たちは、連中に対抗する手段を持っている。だから君が暮らすにはここが一番安全だ。それについての心配は無用だよ。君が十七年、連中を見なかった理由は追々分かる。そして連中が君を狙っていたのは確実だ。これについての反論は認めない。君もひと月もたたない内に認めるだろう。ただでさえ、今連中の活動が活発になってきているからね。君のわがままで原因不明の多数の死傷者を出したら、更に騒ぎが大きくなる。マスコミも黙ってはいない。連中の存在が公になれば、国は大混乱。収拾がつかなくなる」
 神屋が微笑みながらも、目が笑っていないことに、やっと千日は気づいた。
 わがまま――確かに自分はわがままだ。しかし、どうしてたった十七の若者が、昨日まで当たり前のように行っていた学校をやめなければならないことになってしまうのだろう。
 第一、あの化け物たちに狙われる理由が分からない。こんなのは理不尽だ。
 でも――自分が学校に行き、授業中にもし本当にあの化け物が襲撃してくるようなことがあったら。馬鹿みたいに明るく笑いの絶えないクラスを思い起こし、千日は開きかけた口を噤んだ。少しの逡巡の後にもう一度口を開く。
「分かりました。やめます。わがまま言ってすみませんでした」
 最後に嫌味のように一つ呟いて、千日は神屋を毅然と向いた。
「うん。僕、物分かりの良い子、嫌いじゃないんだ」
 幼子に聞かせるようにゆっくりと満足げに言った神屋の一言が、耳について離れなかった。


BACK | TOP | NEXT