鬼の血脈 七つの福音[九]



 突然の鬼の襲撃による重傷者は十二名に達し、軽傷者は三十五名に上った。集落の人口は百名程度であるので、住民の半分近くが傷を負ったことになる。
 襲撃してきたのは主に、千日を襲った鬼と同種と思われる黒い巨体に鋭い爪と牙を併せ持つ夜鬼やきと俗に呼ばれる鬼十数匹だった。
 夜鬼は一点に固まらず、集落の方々に散って戦う術を持たない人々を切り裂きながら、縦横無尽に駆け回った。七福神の面々も、住民を守りながら鬼を追うのには手惑い、全てを討つまでに一時間程度を要した。ちなみにこの集落には三船以外にも腕の立つ人間が居るらしく、彼らの活躍も被害の更なる拡大を防ぐのに大いに貢献した。
 海堂によれば鬼には階級が存在し、夜鬼というのは中級に属す戦闘型の鬼らしい。上級の鬼になれば、下級の鬼たちを使役することも可能なのだそうだ。巨大な身体を持つにもかかわらず常人の二倍の速度で移動し、獰猛で人の血に酔う習性を持つ夜鬼は、鬼側が対ヒト用に兵隊として用いるのに適した鬼だという。
 そういえば、十七の誕生日の夜に現われた鬼たちは、今思えば統率が取れていた。有象無象の殺戮集団にさえ思えた鬼というのは、中々人のコミュニティに似た性格を備えているらしい。
 千日は九重や集落の女手と共に負傷者の手当てにあたった。それはドラマや映画、修学旅行先で戦争を体験した語り手が話してくれた野戦病院での話より、ずっと生々しく酸鼻を極めるものだった。
 千切れた腕や足に初めは嘔吐し、何も出来ずに怪我人の運び込まれる部屋の隅で縮こまっていた千日も、怪我人の数が増え、九重が滴る汗をいらいらと肩口で拭くようになってからは見よう見まねで働き始めた。
 水を汲んできたり、タオルを洗ったり、包帯を切ったり巻いたり、出来ることは、本当に少なかった。集落の女たちは実に手慣れた様子で怪我人たちに応急処置を施したり、中には九重と同じように外科医のような治療を行える者も少なくはなかった。訳知りと言っていた三船の言葉通り、これまでにも同じような事態に見舞われたことがあるのかもしれなかった。
 治療がひと段落着くまでの三時間半ほど、千日は黙々と働いた。
 海堂が表を守ってくれているらしく、この簡易治療所に鬼が踏みこんで来ることは一度としてなかった。
 九重がゴム手袋を外して深く息を吐いたのを見計らって、千日は血塗れのエプロンを外して外へ飛び出した。
 目につく家屋の大半が、倒壊するか半壊している。治療所が無事を保っているのは、海堂の功績に違いなかった。
 地面にも剥き出しになった柱にも、人の物とも鬼の物ともつかない赤い血が飛び散っている。赤黒いものが付着したサッカーボールの脇に肉片を見つけて、千日は咄嗟に目を逸らした。
 治療所と同じかそれの上を行く凄惨な光景に、足が縺れる。舌が渇くが、口に何かを含むことはしばらくできそうにない。
「死者までは出さないってか」
 下方から、ぼそりと知った声が千日の耳朶を打った。
「海堂……?」
 顔から爪先までどす黒い血に覆われて地面に座り込んだ海堂は、少し狂気じみた色に染まった瞳を千日に向けた。
「そんな顔してんなよ。全部返り血だ」
 ほっと息を吐いた千日は、へなへなと海堂の隣にしゃがみ込む。
「早く、ここから離れた方が良いのかな」
 千日が居れば、第二陣が攻めてくることも考えられる。しかしこんな痛手を負った集落を見捨てるような真似もしたくない。
 矛盾する思いにけりは中々つけられず、困り果てた千日は、ふと視線を上げ目を見開く。そのまま海堂の答えを待たず立ち上がって走り出した。
「若槻! 三船さん!」
 刀を佩いた三船が、傷を負っているらしい若槻に肩を貸して歩いて来る。
「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。動けなくなった女の子庇って、ちょっと背中引っ掛けられたくらいだから」
 三船が立ち上がった海堂に若槻を引き渡す。
 若槻の背中には、引っ掛けられたというには少し語弊がありすぎる深い抉られたような傷が長々と走っていた。
「わ、若槻。大丈夫なの? じゃない! あたし、九重さん呼んで来る!」
 パニック状態に陥った千日を、若槻の血に濡れた手が掴もうとして、けれどそうとはせずに柔らかく微笑んだ。
「姐さん、前にも言った通り、俺は大丈夫っすよ。姐さんの手を煩わせるまででもないっすから、姐さんはこのおっさんの話聞いといてください」
 三船を顎で示して、若槻が言う。
 確かに三船と話さなければならないことはあるが、今は何より若槻の身体が心配である。
 尚も食い下がろうとした千日に、若槻は海堂の手を離れて一人で立って見せた。
 千日は、若槻の助けになっているどころか、初めて会った日同様に彼の負担になってしまったらしい。大人しく引き下がった千日に、若槻は再度海堂の肩に凭れかかって、悪戯っぽく微笑んで見せた。
「姐さんが俺のこと名前で呼んでくれたら、それで痛みなんか一瞬で吹き飛んじゃうんで、ここは一つ、名前で呼んでくれたら嬉しいなー」
 嘯いた若槻を、千日は泣き出しそうになりながら見つめる。やっとのことで、海堂に早く九重の所まで連れて行くようにと急かすことしかできなかった。
 治療所の中に海堂と若槻の背が消えて行くのを見届けてから、千日は三船に顔を向けた。
「ごめんなさい」
 他の何を言うこともできずに頭を下げてから毅然と顔を上げた千日を、三船は興味深そうに見つめた。
 どっこらしょ、と声に出しながら三船は傍に置いてあった樽の上に腰を下ろす。
「天女様ね。多分、責任とか感じてるんだろうけど、その必要はないからね」
 思いがけない言葉に、千日は固まった。
「まあこっちにもあちらさんと色々トラブルがあってねー。千日ちゃんたちが来なくてもこうなることは想定内だったってぇワケ。それなりに警護は固めていたから、出し抜かれたのはこっちの落ち度でもあるかねぇ」
 ぼりぼりと頭をかきながら、三船が言う。
 千日はそっと三船の瞳をうかがい見るが、その真意を捉えることはできなかった。
 三船の言ったことは、本当かもしれないし、それだけが理由ではないかもしれない。それどころか、千日が占める割合の方が、実は高かったのかもしれない。
 真相を今の千日に聞かせてくれそうな者は、居なかった。
 だが、何より千日を悔やませるのは、今一番落ち込んだり怒鳴ったり喚いたりしてしかるべき三船に慰められているという事実だった。
「あの、あたしが出てった方がここは安全ですか? それとも九重さんや若槻や海堂や凌ちゃんがもう少し残っていた方が良いですか?」
 二手に別れるという案が千日には一番妥当だと感じられたが、それは海堂が許さないだろう。ぐっと自分の気持ちは押し殺して、三船の返答を待つ。
「うーん。ま、君らは戦闘能力高いし医術にも明るいようだし、何よりピチピチギャルのおまけつきだけど、ここの連中はやられっぱなしで居るようなしおらしい連中じゃないからねぇ」
 三船は言って、立ち上がる。
「俺もあのこわーい所長さんにゴマすりに行かなきゃだし、一息ついたら、どう? 俺と愛の逃避行にでも」
 またもやふざけて千日の方に身を乗り出した三船の顔面を、容赦のない鉄拳が制裁する。
 見れば、何やってんだ貴様、とでも言いたげな凌が仁王立ちで突っ立っていた。
「りょ、凌ちゃん、大丈夫? 怪我ない?」
 三船のことは捨て起き、慌てて凌の身体を検分し始めた千日は、特に目立った外傷がなさそうなのを見て取って安堵の息を吐く。
「千日ちゃんも凌ちゃんもひどい……」
 半泣きで三船が鼻をさする。
「そういや三船さん、七福神の最後の一人って……」
 千日は、微妙な表情をしている三船を振り返った。
「あー、そのことなんだけどね」
 三船は初めて狼狽えたように視線を外した。
「俺の娘がそうだったんだけど」
「娘ぇえ!?」
 千日が素っ頓狂な声を上げる。
 まさかこの男に子どもが、しかも娘が居たとは驚き以外の何物でもない。
「それが、家出しちゃってね」
 テヘッと語尾に星マークを煌めかせながら三船が言った。
「うわっ、何か実によく理解出来るわ。その娘さんの気持ち」
「同感だ」
 凌が電光石火の速さで千日に頷く。
「まあ、そんなこんなで神屋所長にゴマすりにいかなきゃならないわけよ。どうしたら機嫌が取れるかねー。ワイロは用意しまくったけど、流石に身体を要求されたりしたら、おっさんどうしたら……」
 自らの身体を掻き抱き、悶え始めた三船の前を、千日と凌は冷笑して通り過ぎた。
「え! ちょっと、そこは二人で慰めてくれる所じゃないの? ねえねえ」
 追いかけて来る声を聞き流しながら、千日は歩いた。
 治療所に入ると、若槻と海堂と九重の騒がしい声が聞こえて来る。
 どんな状況でも傍に居てくれる人のありがたみに、千日は一人、天を仰いだ。

 若槻の怪我もあって、念のため一夜を三船邸で明かし、一行は翌朝行動を開始した。
「ね、何か聞こえない?」
 集落の外れまで来た所で、千日は隣に居た凌に顔を寄せた。
 立ち止まって千日と凌が耳をそばだてる。
 すると、風に乗って、おーいという呼び声が微かに聞こえてきた。
「何も聞こえなーい。ささっ早く行きましょ」
 三船がさりげなく千日と凌の肩を抱きながら、歩き出す。凌がブチ切れる寸前に、今度こそはっきりとした
「待ってくれ!」という少年の声が一行の耳に届いた。
 あからさまに面倒くさそうな、三船の深い溜め息が漏れる。
「あいつ、俺らと張り合って、めちゃくちゃ連中を倒しまくってたガキじゃねぇか?」
 海堂が、徐々にはっきりとしてきた人影に目を凝らして呟いた。
「ああ、何か俺にどっちが鬼を多く倒せるか勝負だーとかなんとか宣戦布告してきたガキっすね」
 何だなんだと三船以外のメンバーは全力疾走してくる少年に興味津々である。
 少年はやっとのことで一行の元に辿り着くと、疲れた様子も見せずにムンと胸を張り、腕を組んで仁王立ちになると、実に偉そうに頼んでもいないのに自己紹介を始めた。
中原なかはらたけし! 歳は十四! 体術専門で、そこのチャラチャラしてる兄ちゃんより絶対役に立つ! オレを七福神のメンバーに入れてくれ!」
 チャラチャラしている役に立たない兄ちゃん認定を受けた若槻の笑顔が引きつる。
「姐さん、こんなクソガキ捨て置きましょう」
 きらきらと眩いばかりの笑みを千日に向けながら、何気に酷いことを若槻が提案する。
 千日はとりあえずその若槻の提案は保留し、熱意溢れる少年をじろじろと観察した。
「うーん。ね、あんた確かに強いみたいだけど、まだ義務教育だって終えてないんでしょ。あんまちっちゃい子におすすめできる仕事じゃないと思うんだけどね」
「うっせー! その理屈ならあやだってダメじゃんか! 綾はオレと同い年なんだ。歳は関係ないだろ!」
「あや?」
 怒りに顔を真っ赤に染めて喚く中原の声を耳を塞いで聞き流しながらも、千日はその単語を捉えて思わず三船を振り向いた。
「あー、ま、俺の娘よ」
 その言葉に、千日は目を瞠る。
 それでは正規メンバーであった綾という少女は十四だということか。いくら千日以外のメンバーがその腕っ節の強さで選ばれたにしても、それは若すぎやしないだろうか。
「メンバーの決定権は神屋所長にあるからね」
 さりげなく中原に不可能である理由を示しながら、九重が言う。
「で、でも! 絶対人が多い方が良いだろ? だって綾も抜けちゃったんだし、そのなんとか所長って人もオレを見たら気に入ってくれるかも!」
 何が何でもメンバーに加入したいらしい中原は、なんとか所長がどれだけ恐ろしい人物かも知らずに千日に取りついて離れようとしない。
 この調子で永遠に続くかに思われた押し問答に、横槍を入れたのは三船だった。
「はらたけ、お前に戦えんのかい?」
 平生の軽い調子を残しながらも、どこか冷たくそれは響いた。
 中原が、千日から三船に取りつく先を変えて必死の形相で言い募る。
「おやっさん! オレは戦える! 死ぬ覚悟だってある! そこの天女様とかいうのもちゃんと――」
 中原の言葉は、最後まで発せられることは叶わずに途中で鈍い音に掻き消えた。
 遅れて、どぼんという音と共にすぐ近くにあった溜め池に中原の身体が落ちる。
 中原は殴られた頬を片手で押さえながら、驚愕に彩られた瞳を殴った張本人である三船に向けた。
「ガキがいきがってんなよ」
 呪詛のような低い呟きと共に、三船がゆったりとした足取りで中原の方に向かう。
「おい、おっさん!」
 三船の手が太刀の柄にかかるのをいち早く見て取って、若槻が叫んだ。
 抜き身の太刀が、躊躇いなく振り上げられる。
「ちょっ、おっさん!」
 遅れて千日が声を上げると同時に、それは終わっていた。
 中原の首の皮すれすれで止まった太刀が、顔を出したばかりの朝日に照らされゆらりと揺らめく。
 目を瞑り、がたがたと震えていた中原の瞼が僅かに押し上がる。太刀の白銀の輝きが、再び鞘の中に戻された。
「死ぬ覚悟、ね」
 三船の囁きはあまりに小さかった。辛うじて千日はそれを捉える。多分、中原にはしっかりと聞こえていたのだろう、彼は悔しそうに唇を噛んで水面をぱしゃりと叩いた。
「三船のおっさん! ガキ相手にそんなことしなくたって――!」
 メンバー一、人情に厚そうな若槻が声を張り上げる。
「うるせー!」
 応えたのは、三船ではなく中原だった。
 見れば、中原の瞳には涙の膜が張っている。
「ガキ、ガキってうるせえぞ! オレは――! オレは!」
 言い淀んだ中原を少し気の毒に思いながらも、千日は中原に背を向けた三船をちらりと一瞥した。
「まあ、おっさんが認めてないのをあたしたちがぐだぐだ言うわけにもいかないし」
 背を向けて歩き出した千日たちを、喉を嗄らしながら呼ぶ声がする。それでも千日たちは振り返らずに、兜京までの長い道程を一歩一歩着実に進み始めた。

 居る。確実に居る。
 初めにそれに気づいたのは海堂で、バスの車内でのことだった。
 談笑したり疲れて眠ったりとリラックスムードに入っていた七福神一行をあっと言わせたのは、その見事なまでの執念だった。
 山道を抜け、田舎町しか走らないどこかくたびれたバスから駅直通のバスへと乗り換えると、かなりのスピードで街中を走り始めたにもかかわらず、その小柄な物体は音を上げずに爆走して着いて来ていた。
「どうすんだ、あれ」
 海堂がもう振り返って指差すこともしないで呟く。
 あれ呼ばわりされたのは、言うまでもない。先ほど集落に置き去りにしてきたはずの中原である。
 流石に自らの能力について豪語するだけあって、体力は相当なもののようだ。
「あの調子じゃ本当に研究所まで乗り込んで、所長に自分を売り込むかもね」
 九重が苦笑しながら、若槻の背中の包帯を替える。
「やかましい子どもは嫌いだ」
 眉間に皺を寄せて、凌が言う。
「じゃあ、大人の男の魅力なんかは……」
 身を乗り出して勝手に立候補してきた三船を、凌は一瞥さえしなかった。三船に至っては、もう中原の話題を続ける気がないらしい。
「ま、なるようになれじゃない?」
 寝ぼけ眼で千日が言うと、疲れと眠気で頭が働かない一行は中原の件を棚に上げることに決めたのだった。
 駅に着いて駅弁を買い込み、ついでに神屋ご所望のハツ橋と漬け物を渋々三船が買い、一行は兜京行きの新幹線たから七〇一号に乗り込む。
 どうやら用意周到に金を持っていたらしく、中原もこそこそと隠れながらも同じ切符を買ったようだった。本人はスパイ映画ばりの完璧な尾行をしていると思っているようだが、そういったことに疎い千日にさえバレている。そろそろその変装(のつもりらしいサングラスとカツラ)を解いてもらいたい。
 その空回りしまくる一生懸命さから一行に哀愁さえ抱かせながら、中原はたから七〇一号の後方の車両に無事乗ったようだった。
 九重がトイレに行くついでに中原の様子を確認すると、凄まじい勢いで座席の下に隠れたらしいが、車両全体に響き渡るような大きな腹の音が鳴ったとかで、存在感は遺憾なく発揮されていたという。
 昼過ぎに兜京駅に着いてしばらく駅の構内を歩いて、千日はストーカー行為が止んだことに気づき、辺りを見回した。
「あれ? どうしたんだろ。まさかこの旅でスパイ度指数が急上昇したとか?」
「いや、それはねぇだろ」
 海堂が早々にほのかな期待を打ち砕く。
 となると残るは――。
「迷ったかな。ここはあの子の住んでる所と違って人が多いし、駅の内部もちょっと入り組んでるし」
 九重が言って、三船に視線を送る。
 ここで七福神一行が中原の姿を探せば、それは彼の加入を認めるのと同等の意味を持つことになる。
「はあー」
 芝居がかった盛大な溜め息を吐いたのは三船だ。
「千日ちゃん」
 言って三船は千日の手に、手のひら大の三角形の物体を放った。三船が炯都駅構内で購入しながらも口をつけなかった昆布入りのおにぎりだ。
 千日はぽかんと口を開けて三船を見つめる。本当に、中々本意を見せないおっさんである。
 千日はにっと微笑むと、おにぎりを大事に抱えて踵を返して走り出した。
「あの馬鹿っ。狙われてるっつーのに」
 海堂が慌てて千日を追う。
 千日は人ごみの中を無理やり押し進み、やがて途方に暮れたように通路の隅っこにへたり込んだ中原を見つけた。サングラスは落ちかかり、カツラは取れかけて不自然に頭にぶらさがっている。
「はーらーたけ」
 三船が口にしていた愛称を舌に乗せる。
 弾かれたように顔を上げた中原の瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。
「何ベソかいてるの。喜びなさい。あんたのそのしつこさには、おっさんも恐れ入ったってさ」
 千日は中原の目の前にしゃがみ込み、彼の頭をぽんぽんと叩く。ついでにその似合わないにも程があるサングラスとカツラを取り去ると、代わりに三船から預かったおにぎりを中原の手の上に乗せた。
 中原の腹が、ぐうと音を立てる。
「昆布か……」
 少し落胆気味に響いた声を疑問に思って、千日は中原の顔を覗き見た。
 中原は乱暴にぐいと服の袖で涙を拭くと、急いで立ち上がる。
「オ、オレは泣いてなんかいないんだからな!」
「はいはい」
「ちなみにオレは昆布がこの世で一番嫌いだ!」
 あら、おいしいのに、と思いながらも千日は苦笑する。
「ほんと、おっさんは素直じゃないねぇ」
 言うと、中原は少し目を丸くした。再び、昆布味のおにぎりに目を落とす。
 中原は何も言わずに昆布おにぎりをかじり始めた。
 時折何とも言えない表情になりながらも、全てたいらげて、涙をぼろぼろ流しながら歩き始める。
「おい、お前……!」
 少し歩いた所で、海堂の地獄の底から這い上がってきたような声に千日は言葉を詰まらせた。
「通行人の迷惑も考えず、駅ん中爆走するとか阿呆か!」
「良いのよ! 非常事態だったのよ!」
 怒鳴りながら、仲間たちが待つ場所へと向かう。
 騒がしい千日と海堂、それから新規加入した布袋ほてい・中原のしおれた姿を認めると、凌、若槻、九重、三船はそれぞれ仕方ないともほっとしたともつかない微妙な表情を浮かべた。
「何はともあれ、七人揃った、ね」
 どこか感慨深げに千日が言い、一行は悪鬼の巣食う研究所へ向かう。神屋のことを思うと胃の縮む思いがしたが、穏やかな追い風に元気づけられた一行の足取りは軽かった。


BACK | TOP | NEXT