鬼の血脈 朝と夜が出逢う夜[四]



 作戦4989――七福神のメンバーに負傷者が出た場合を想定したこの作戦の内容は、あらかじめ所員がチェックインしておいた都内のビジネスホテルに一先ず退散するというものであった。四苦八苦に陥った状態――つまりは手詰まり状態となったことを指して名付けられた、いわゆる親父ギャグである。作戦というには名称も内容もおざなりすぎる感が拭えない。
 例によって、一般戦闘員が病院送りであるのに対して、七福神が何故ホテル行きであるのかは説明がされなかった。不審点はあるが、どちらにせよ、夜は鬼の出現率が急激に高まる上、血は鬼を刺激し、更には鬼につけ狙われる千日が居る。屋内への撤退は、若槻が負傷し人形鬼との戦いに打開策が打ち出されない状況下、当然の流れであるといえた。
 しかし――。
「せっま!」
 千日は安っぽい二人一部屋の部屋に辿り着いてすぐ、素っ頓狂な声を上げた。遅れて若槻の苦笑が漏れる。
 千日たちを部屋まで送り届けると、一般戦闘員の中年男性二名と二十代くらいの男性二名は自身の部屋へと引き上げて行った。何か不測の事態が起これば、いつでも駆け付けられるよう、彼らは千日たちの部屋と同じフロアに陣取っている。
 海堂たちがやって来るまでやることもないので、千日と若槻はとりあえず部屋で暇つぶしでもしていようということになった。それで部屋に足を踏み入れたは良いものの、部屋の中はベッド二つがでんと鎮座している他には人一人がどうにか通れるほどの通路しかない。勿論ミニ冷蔵庫とクローゼットとテレビとバスルームは完備しているが、とにかく室内はそっけなく居心地が悪かった。
「ビジネスホテルなんて泊まったことないからなー。修学旅行とかで泊まる旅館みたいにはいかないかー」
 いつの間にか肌に付着していた血痕をバスルームで洗い落としながら千日が呟く。
「ほんと、寝るだけって感じっすね」
 若槻は返事をし終えるとベッドに倒れ込んで、鬼の返り血を隠すために着ていた上着を脱ぎ捨てた。
 千日は部屋に備え付けてあったタオルをお湯で濡らすと、先ほどの護送役の一般戦闘員の一人から預かっていた救急医療パックを片手に、若槻が寝転がっているベッドまで歩いて行く。
「はい、あんたちょっと服脱ぎなさい」
 おもむろにベッドに腰掛けて千日が呟くと、怪我を負っているはずの若槻がベッドから飛び上がった。
「へ!? 姐さん、ちょ、ま、何言ってんすか」
 ゆでダコのように赤く染まった若槻が、千日に詰め寄る。
 そのあまりにも分かりやすい態度を見かねて、千日は医療パックの上に頬杖をついた。
「何、妄想してるのよ。怪我の手当てに決まってるじゃない」
 ぴしゃりと言い放つと、若槻は合点がいったような、少し残念そうな表情を浮かべた。
 これだから、思春期の男子というものは困る。頭の中にはどぎついピンク色の秘密の園が広がっているに違いない。
 若槻はまだ少し照れたような恥じらいを見せつつ、自身のシャツに手を掛けた。元々白かったシャツは、返り血と自身の怪我で黒みがかった赤と白の斑模様に染まっている。
(何であたしが年下のいたいけな少年を襲っているみたいな構図になってんの……?)
 ツッコみたい気持ちを抑えて、千日は辛抱強く若槻が服を脱いでくれるのを待とうとした。しかし怪我のためか、若槻が中々シャツのボタンを外せずにいるので、一緒になってボタンを外す作業にかかった。
 若槻が斬りつけられた腕を庇いながら、シャツを取り去る。たくましく隆起した腕や胸板より何より、無数についた刀傷とどろどろと溢れ出ている暗赤色の血がまず鮮やかに千日の視界に貼りついた。しかし思っていたほど深い傷はない。どうやらあの人形鬼は、若槻に致命傷を与える気などはさらさらなく、皮膚の表面を執拗に切り裂いただけだったようだ。千日は心おきなく、あの人形鬼に変態の烙印を押した。
 もちろん素人目だから確証はできないが、これなら今すぐに医者にかかる必要はなさそうだ。応急手当をして安静にしておいて、後からやって来るはずの九重に隅々まで診てもらえば良い。
「言っとくけど、怪我の手当てなんてしたことないからね」
「大丈夫っすよ。姐さんの怪力で死にそうになったら逃げます」
 何とも頼りない上に偉そうな千日の宣言に、若槻はそうおどけてみせた。
 一番酷い出血をしている右腕を、千日は清潔なガーゼで包んで圧迫する。三船の故郷で鬼に襲われ、怪我人を手当てした際に学んだ直接圧迫止血法とかいうやつだ。若槻は傷に触れられた瞬間顔をしかめたが、千日が不安そうに眼を瞬くと、すぐに微笑んだ。
「ね、これで合ってる?」
「俺もよくわかんないっすけど、多分合ってます」
 まだ顔を曇らせていた千日も、少しだけ表情を和らげた。大きく息を吐いて、止血を行っている腕以外の緊張を解く。
「それにしても、どうしてあの人たち、誰も若槻の怪我の手当て引き受けてくれなかったわけ? あたしがど素人なことくらい、分かり切ってることでしょうに」
 あの人たち、とは千日たちをここまで送り届けた戦闘員たちのことである。
 千日は若槻を手当てしてくれるように頼んだのだが、どの人にもやんわりと断られてしまった。
『俺たちみたいなむさい親父より年頃の女の子に手当てしてもらった方が嬉しいだろう』
 そんなことを言っている人もいたが、事は命にかかわる。そんな些細なことは、正直考慮に値しない。千日のような素人一人に怪我人を任せるなど、言語道断である。
「……まあ、あんまり信用してもらえてないっすからね、俺」
 寂しそうに、ぽつりと若槻がこぼす。先を促すように千日は若槻の瞳をじっと覗き込んだが、曖昧な笑みしか返されない。
「……あの人形鬼と知り合いだから? でもあんたって七福神に選ばれるくらいなんだから、研究所にとっては貴重な戦力なんでしょ。それをこんな扱いって酷くない?」
 切り込むが、若槻は特に驚くこともなくどこか陰のある笑みを湛えたままだった。
「知り合いだからってのもありますけど、俺、元々回復力が半端ないんで。これくらいの傷だったら放っておいても死にませんし、傷跡も残らないくらいだと思います。あの人たちが非情ってわけじゃないんすよ」
 そうは言っても、若槻は普通だったら救急車で運ばれてもおかしくないような傷を負っているのだ。それに、たとえどんなに些細な傷であったとしても、若槻が研究所で貴重な存在でなく一般の戦闘員だったとしても、仲間が傷ついているのに放っておくというのはあんまりな仕打ちだと思う。
 千日は若槻の腕から手を離し、包帯を巻きにかかった。これがまたそれほど器用でない千日には困難な作業である。
「だいたい、おっさんはともかく七福神の構成メンバーって若すぎじゃない? いくらあんたたちが強いって言ったって、こんな風に傷ついて、それでろくに心配もされないなんて……ていうか、戦うこと自体、嫌じゃないの? そもそもあんたはどうして七福神なんかに入ったの? あたしと同じで強制的に?」
 怒涛のような質問の嵐を巻き起こした後に、千日は少し罰の悪そうな顔をした。先刻の海堂の忠告を思い出したのだ。
「あ、ごめん。答えたくなかったら答えなくて良いし、もし起きてるのが辛かったら寝ても良いから」
 厚かましさが影を潜めて急にしおらしくなると、若槻は失礼な笑い声を上げた。
 海堂には劣るが、若槻もまた千日の神経を逆撫でする類の男だったようだ。若槻の怪我のことなど遥か彼方へ吹っ飛び、危うく掴みかかりそうになる。
「あんた喧嘩売ってんの?」
「いえ、すみません。だけど姐さんはそうやって傍若無人に振舞っている方が『らしい』っすよ」
 ふっと蕾が花開いたような優しい微笑みに危うく絆されそうになったが、すんでのところで千日は己を取り戻した。聞き捨てならない言葉が耳に刺さったのだ。
「そんなに喧嘩売りたいなら喜んで買ってあげるけど?」
 包帯を巻き終え、ぽきぽきと指を鳴らした千日が、極上の笑みを浮かべる。次いで、苦笑が若槻から漏れた。若槻の腕の止血をしながらそんなことを言う、挙動の矛盾がおかしかったのだろう。それでも若槻の許す限りは、軽口でも叩いてなければやっていられない。十七の誕生日以来、千日は他人の怪我ばかり目にしているような気がする。
「そういえば姐さん、俺のことさっき名前で呼んでくれましたよね」
 いきなり話題が変わったので、千日の思考回路は数秒の間、機能してくれなかった。ひどく嬉しそうに輝く若槻の瞳と間近でかち合って、千日はああと漏らす。
「や、あれはほら、あれよ。咄嗟に言葉が飛び出しちゃったっていうか。事故? みたいな」
 何だか気恥しくなって千日は早口でまくしたてた。別に意味があったわけではない。若槻が名前で呼べとうるさいから、ピンチの彼をそう呼んでしまったのかもしれないし、そうでないのかもしれなかった。
「何、名前くらいで照れてるんすか。俺のこと脱がしておいて」
「は!? な、なに人のこと変態みたいに言ってんのよ! あたしだって、好きで脱がしてんじゃないわよ」
 先ほどとは打って変わって、余裕のある笑みを見せる若槻の顔を見ていられず、千日はベッドから滑り降りようとした。動揺していたせいか、バランスを崩して顔から床に激突しそうになる。思わず目を瞑った千日を若槻が無理やりベッドの上に引き戻した。
 助かった。流石に顔面衝突は避けたいところだ。
 ほっと息を吐いたのも束の間、千日はまたもや背後に飛び退ろうとした。ベッドに引き戻された勢いで、若槻の胸に寄り掛かっていたのだ。若槻は程度こそ重くないとはいえ、刀傷を負っている。その上半裸だ。
「ご、ごめ――」
「わわっ、ちょ、ま――落ちますって!」
 慌てた様子で、若槻が千日の背中に腕を回して抱き込みにかかる。若槻の体重を受けて千日の身体がベッドに押しつけられる。見開いた瞳に、ひどく驚いた様子の色素の薄い虹彩が焼きついた。存外――ともすれば息がかかりそうなほど近くに、若槻の顔があった。
 どうやら、勢いがつきすぎたのか、若槻がバランスを崩したのか、千日は押し倒されたらしい。咄嗟に体重をかけないようにと若槻が両手を千日の顔の横に置いたせいか、身動きすら取れない状態だった。
 千日より数秒遅れて状況を理解したらしい若槻の顔が、傍目にも分かるほど見る見るうちに真っ赤に染まる。その焦りっぷりは先ほど千日が服を脱げと言った時の比ではない。
「す……す、す、すすすすすすすすみませんっ」
 若槻の声が裏返る。
 何だかそこまで慌てる若槻が気の毒にさえ思えてきた。パンク状態になっていた千日の頭が冷静に動き始める。思えば、千日は若槻よりも一つ年上なのだ。ここで年上がしっかりしなくてどうする。
「や、あたしこそ、ごめん。それより目のやり場に困るから一先ず――」
 どいてくれる? と続けようとした千日は、物音に気付いて目をそちらに向けた。再び、思考が停止する。
 何故か千日の視界には、茫然とこちらを見つめる海堂が居た。三者が言葉を発するよりも早く、賑やかな声と共に小さな人影が部屋に入って来る。
「あーもう、あの鬼強すぎ。ほんとに死ぬかと思った――ってあれ?」
 半笑いの中原が、その微妙な表情のまま目を点にして固まる。ああもう、最悪だ。タイミングが良いのだか、悪いのだか――否、間違いなく後者だろう。ともかく千日は、只今絶賛誤解されタイムに突入したらしい。お子様組と違ってこんな時でも微笑みを絶やさない九重が、千日とただの屍のように動かなくなった若槻に声を掛ける。
「寝てると悪いかな、って思ってスペアキーをフロントから借りてきたんだけど――」
「あらら。お邪魔しちゃった?」
 九重の後ろからひょっこりと顔を出した三船に至っては満面の笑みだ。その言葉が決定打となったのか、中原がぎゃーと声を上げて、目を両手で覆う。
「ち、ち、ち……ちっがーう!!」
 深夜だということもすっかり頭から飛んで千日が叫んだ。思わず若槻を蹴り飛ばしそうになったが、それは寸でのところで堪える。だが代わりに遅れて入って来た凌が、修羅のごとき形相で若槻に掴みかかった。
「貴様……!」
 放っておけば若槻の怪我など気にせず渾身の力で殴り飛ばしそうな勢いだったので、慌てて千日が仲裁に入る。
「ち、違うの、凌ちゃん! 若槻の怪我を手当てしてたところをあたしがちょっとドジ踏んでベッドから落ちそうになって――それで、何がどうしたんだかこんな事態に――」
 それでも手を離さない凌を見かねてか、九重が間に入って彼女をなだめ始めた。九重はどうやら初めから、千日と若槻がそういう事態になったとはまるで思っていなかったかのような様子だ。若槻を始めとする七福神のメンバーのことをよく見ている九重だからできる態度なのだろう。
「ごめん」
 困ったようにはにかんで、千日が若槻に声を掛ける。
「や、俺もすみません。なんつーか、俺は役得? みたいな感じですし」
 照れ笑いで若槻が応じる。千日は苦笑したが、若槻は余計なひと言を言ったせいで、またもや凌に詰め寄られていた。
「おかえりなさい。大丈夫だった?」
 千日は、乱れた服装を正して残りのメンバーを見渡す。凌の腕の傷と中原の肩口の傷が気になったが、すでに手当てされた後だった。わりと元気な様子なので、それほどひどい傷を負ったというわけではないのだろう。もちろん、軽傷だって心配なことには変わりはないのだけれど。
「うん、何かあの自称正義の味方くんたちに助けられたかな」
 九重が苦笑しながらいつもならさらさらと指通りの良い髪を掻き上げる。
「そう! それなんですけど、あの子たち何なんですか? あれも所員?」
 千日たち七福神も他人のことは言えないが、命を取り合う場であれほど無邪気な態度を取る人間――しかも中原と然程変わらない年頃に見えた――の正体が気にならないわけがなかった。
「私は――数ヶ月前から研究所に居るが、あんなふざけた子どもは初めて見た」
 若槻から関心を千日に戻した凌が呟き、ちらりと海堂に視線を向けた。何故か鼻白んだ海堂が、面倒くさそうに口を開く。
「所長の秘蔵っ子で、気まぐれで動くふざけたガキだ。滅多に表には出てこねぇから、気にする必要はねぇよ」
 誰とも目を合わせずに吐き捨て、苦々しげに舌打ちまでかました海堂が腕を組んだまま壁に寄り掛かる。
「もう一人は気のいいおっさんですよ。姐さんも多分、気に入ると思います」
 若槻の言葉に千日は曖昧に頷いた。
 あの聞き覚えのあるダミ声――どこで聞いたのだろうか。それとも単なる気のせいだろうか。どうも最近衝撃的なことが多すぎて、頭がついていかない。
 顎に手を当てて考え込み始めた千日の肩を、三船が気軽に叩いた。
「それよりお若い衆、経費節減と鬼の襲撃に備えるっていう名目で、今日は俺らひと部屋に押し込まれるそうなんだけど、その辺の話はどうするつもりなの?」
 実に楽しそうに告げた三船とは対照的に、千日の表情が固まる。若槻も同様の反応を示したが、その他のメンバーは苦い顔をしただけで、特に反論をしようとさえしなかった。多分、すでに決定事項として伝えられているのだろう。
「な、何それ!! ていうかベッド二つしかないじゃない! あの所長頭沸いてんじゃないの?」
 その場に居る誰を責めて良いかも分からず、千日がとりあえず下心丸出しな三船の胸倉を掴んで揺する。
「しょうがねえだろ。あの人形が素知らぬ顔で入って来るとも限らない。お前を守るためだ」
 凌には申し訳なくてならないが、そう海堂に言われれば、何の力も持たない千日は納得するほかなかった。
「じゃ、琢真と毅と凌ちゃんと千日ちゃんがベッドで僕らが床で良いですよね? これだけ大きなベッドなら二人くらいなら十分寝られますし」
 九重が朗らかに、けれどどこか強制力を持った笑顔で話を進める。敬語で喋っているあたり、主に三船に向けた言葉なのだろう。九重選考委員による本日のベッド使用権は負傷者と女子に貸与された。
「え、あたしも床で良いです。わりと身体丈夫だし……九重さんもおっさんも海堂もちょっとだけど怪我してる」
 辞退を申し出た千日は、おずおずと壁際に寄った。千日とて諸手を上げて硬い床になど寝たくなかったが、ここにいるメンバーは皆、命を張っている。それも主に千日のために。どうしてただ守られているだけの自分が、ぬくぬくと暖かいベッドに丸まって眠ることができるだろう。
 それを千日が言えば、この仲間たちはそんな憂慮など笑い飛ばしてくれるだろう。だから千日は何も言わず、俯き加減に誰かが代替案を出してくれるのを待った。
「ばーか」
 間近で、どこかこそばゆさを感じさせる囁きが漏れた。罵られているというのに、不快な感じがしない。千日は驚いてそちらを向く。
 瞬間、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回された。誰かと確認するまでもない。悪びれもせずにこんなことをするのは、ここには海堂くらいしかいない。
「な、何すんの!」
「女を床に寝かせられっか。それに、凌の隣におっさんとか寝かすわけにもいかねぇだろ」
 何でさっきから俺だけ名指し? と半泣きになりながら三船が唯一慰めてくれそうな若槻に取りつく。
 確かに、凌の隣に男性陣(特に三船)を寝かすのはよろしくないだろう。しかし、こんな大所帯で変な気を起こしたりするものだろうか。いや、三船は物凄く怪しいが、こういう屋内かつ鬼が居ない状況では、千日とて凌のことを守れるはずである。というか、凌ならそんな心配など鼻息で吹き飛ばせる気がする。
「千日ちゃんは余計な心配しなくて良いよ。こんな傷、舐めときゃ治るし、陸の言うとおり、女の子を差し置いてなんてとてもじゃないけど眠れない」
 若槻の怪我を検分しながら、九重が言う。医者である九重がそうまで言うのだから確かにそうなのだろう。
(……変なの)
 九重のような好人物に女扱いされているというのに、ちっとも嬉しくない。
 ただ、非力で無知な自分への歯痒さが増しただけだった。
 海堂もいつものように荷物か何かのように千日のことを扱ってくれれば良いものを、こんな時だけあんな態度を取るのはずるい。
 一番欲望に忠実そうな三船はと振り返るが、彼もまた目尻を緩めて千日の頭を柔らかく撫でただけだった。こんな時だけ、大人のような顔をするのは、本当にずるい。
(あたしにはそんな価値ない……)
 自分を卑下するつもりはない。自負心はわりと強い方だ。
 けれど、まだ出会って間もない人たちにこんなにも優しくされるとどうして良いか分からなくなる。
 何も今日だけの話ではない。
 何故、メンバーたちは何の役にも立たない千日にここまでしてくれるのか。
(鬼の親玉を引き出すのは確かに大事なんだろうけど。ていうかどうして鬼の親玉があたしなんかに喰いつくのよ。もしやあたし、鬼にとっての世界三大珍味並みのごちそうなんじゃないでしょうね)
 考えただけでぞっとする。
 千日は激しい思い込みで一時の感傷を脱すると、海堂たちの言葉に渋々ながらも甘えることにした。


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