鬼の血脈 朝と夜が出逢う夜[六]
それから約一週間、兜京を震撼させていた連続通り魔のニュースがテレビのニュース番組のトピックに上ることはなかった。
千日たち七福神もしばしの休暇に羽根を伸ばし、一般戦闘員も含め傷ついた者たちに安息の時間が流れた。もちろんいつでも出動できるように準備はしておかなければならないし、千日以外のメンバーには教練と呼ばれる軍事訓練があるので、本当の意味での休暇は一度として訪れなかった。
千日は研究所に帰って来た翌日、試しに海堂に戦闘の訓練――それが駄目ならばせめて身体を鍛えられるような基礎訓練を積みたいと切り出したが、あえなく両断された。しつこく追い回して食い下がってはみたものの、海堂の返答はいつだって、せめて戦闘の時くらい大人しくしていろであった。他のメンバーの答えも、言い様は様々であったが結果は似たようなものだった。
(ちょっとくらい良いじゃないの。そんなにあたしが頼りないか!)
千日は内心で不満を垂れ流しながら、神屋の元に向かう。
ここ数日神屋は防衛省との会談があるとかで研究所を空けていたが、今日は戻ってきたと聞いている。案外忙しいみたいだが、千日は神屋に言っておきたいことが山ほどあった。駄目元で行ってみるのも良いだろう。
未だに研究所内部を一人で歩くことには慣れないが、いつまでも子供のように海堂や若槻や凌に付いてきてもらうわけにもいかない。
そう意気込んではみたものの、センター内部に入り、千日は耐えきれず顔を顰めた。やはり、凝視されている気がする。
作戦で行動を共にした一般戦闘員など数名とは僅かに打ち解けられた気がしないでもないが、所員の大多数から千日は未だに奇異の目で見られていた。
(女子に飢えてる、とかだったらまだ良いんだけど)
そんなわけがないことが、今の千日にははっきりと分かってしまっている。理由はどうあれ、千日は鬼の囮になれる存在なのだ。ここの所員の目を集めてしまうのは仕方のないことなのだろう。
所長室の前まで辿り着いて、千日は扉をノックした。さすがにいつだか扉を蹴破るように開けたのは、大人げなかったななどと頭の片隅で考える。
「はい」
どこか気だるげな神屋の声が扉を隔てて千日の耳に届いた。
「天財です」
「天女様? 良いよ、入って」
千日はわりとすんなり入室を許されたことに驚きながらも、促されるままに扉の取っ手に手を掛けた。
約一週間ぶりに顔を合わせた神屋は、デスクに片肘をついて脇に積まれた書類に目を通している最中だった。こめかみを揉みながら顔を上げる。元々繊細な顔立ちをしているせいか、疲れ切った顔をしているとまるで病を患っているかのような儚げな印象を与えた。
「お忙しい中、すみません」
千日の初めて吐いた殊勝な言葉に、神屋は一瞬虚を突かれたような表情を見せた。
神屋のことは天地がひっくり返っても好きにはなれそうになかったが、千日は扶養してもらっている身である。それも元はといえば神屋率いる七福神に拉致されたのが原因だが、事実は事実である。どっちにしろ、今の千日はここから放り出されれば鬼に殺されるか、それに似た類の運命を辿ることは間違いない。ある程度は、神屋に対する憤りも時と共に薄れてきていた。負のエネルギーというのは、持続させるのが存外難しい。
「いや、他でもない君に時間を割けるなら、光栄だね」
ふっと口元を緩めた神屋が、書類をデスクに置いた。
千日はその柔らかな声音に悪寒を覚えながらも、神屋の方へ足を進めた。神屋の台詞が千日への気遣いなどではないことは分かっている。天女が貴重な存在だから、そう言うのだ。
「あの、あたしが外部の人に連絡を取ることってできないんですか?」
「友人か何かかな? できないこともないけど、今は連絡手段は手紙に限らせてもらう。それから検閲もさせてもらうことになっている。それで良いなら、良いよ」
千日がここの情報を漏らすことを懸念しているのだろう。事は国家問題だ。ある程度、外部との通信が制限されることは覚悟していた。今は、ということはある程度信用が得られたら電話やメールもできるようになるのかもしれない。一切の連絡手段を断たれる可能性も考えていたので、千日はむしろほっとした。
「良いです。それでお願いします。あと、海堂たちには断られたんですけど――」
「ああ、教練に参加したいって奴ね。僕の方にも話が来てるよ。心がけには感心するけど、所員や陸たちと同じようなものを受けさせるつもりは今のところない」
やはり、千日の動きは神屋に筒抜けらしい。七福神一同が揃って千日の申し出を拒否するはずである。
「でも――多少は鬼に襲われた時対処できる方が良いと思うんですけど……だって、あの人形鬼に二度も人質に取られちゃったし」
足手まといのままでいるのは沢山だ。
千日の声なき声を読み取ったのか、神屋は顎に手を当てて首を廻らした。
「護身術程度なら構わないよ。凌か東雲くんにでも頼むと良い。それから君が望むのならば、医療班の方にも話を回しておこう。本格的な医療を学ぶのは無理でも、常に七福神のメンバーと行動を共にする君が応急手当を一通り学んでおいてくれれば、彼らの助けになるだろう。他に何か要望は?」
逆に尋ねられ、千日は僅かの間躊躇した。
要望はもう特にない。しかし、質問したいことがある。千日は何故、鬼に狙われるのか。己は何者なのか。
神屋は以前、それを聞けば死にたくなると囁いた。何でもかんでもこの男の思い通りになるとは思わないが、事情を知る者たちの態度を見ていると、あながち嘘でもないような気がしてくる。
千日は、大した能力もないのに特別扱いされすぎているのだ。
「……あたしは――」
空気に触れたのはそこまでだった。
「何でもありません。お手間を取らせました」
立礼し、千日は踵を返す。
情けない。この期に及んで、千日は己の正体を知るのが怖いのだ。
一度は、知ろうと思った。確かにそう思ったはずなのに、神屋の言葉が鎖のように絡みついて、千日をがんじがらめにしていた。
千日はやりきれない思いと共に扉を引いた。
首筋がじりじりと痛む。神屋の視線だと気付いたが、今の千日にそれを振り返る余力は到底なかった。
それから三日間、千日は凌や九重や研究所の人間から簡単な護身術や応急手当の手ほどきを受けた。怪我から驚異的な回復を見せた凌は既に研究所の基本教練に参加していたし、研究所の人間はそれぞれ鬼の出現がなくとも忙しいようなので、未だに十分なものを得たとは言い難かった。しかしわざわざ彼らの時間を削ってもらうわけにもいかず、千日は暇を持て余していた。
せめて体力でもつけようとランニングや筋トレを自主的に始めたが、七福神の他のメンバーの超人的な動きを見た後では何だか虚しい気分になってくる。
(これでも体育には自信あったんだけどなあ。でもまあ皆と比べてもしょうがないか)
自分にできることをする。今の千日がやるべきはそれしかなかった。
上がった息を整え、ポニーテールを結いなおすと、千日はスポーツタオルに顔を埋めた。ミネラルウォーターをがぶ飲みし、はあと大きく息を吐いた。
「天女?」
少し躊躇いがちに声を掛けてきたのは凌だった。千日がスポーツタオルを首に掛けながら振り向くと、凌は更に困惑を深めたような顔で目を瞬いた。
千日は、凌と同じ白いトレーニングスーツ姿だった。どちらも神屋に支給されたものだ。戦闘要員は教練の時、皆この制服を着ることになっているらしい。
「貴女はそんなことをしなくても良いのに」
初めて会った時から薄々感じていたことだが、凌は千日に妄信的すぎる嫌いがある。その理由もやはり千日が天女として選ばれた理由にあるのだろう。
「凌ちゃんや東雲さんが身を呈してるのに、あたしだけおんぶに抱っこはかっこ悪いでしょ。ま、できることは少ないけど」
苦笑しながら千日が言う。
「天女は私たちが――、否、私が守る」
まるでおとぎ話に出てくる姫を守る騎士のような台詞だと思いながら、千日はグラウンドの砂塗れになったスニーカーを脱いで砂を掃った。それから凌の方に向き直ってにっと微笑む。
「凌ちゃん今時間ある? ちょっと歩かない?」
他愛無い話をしながら千日は凌と研究所の屋外を散歩した。
凌との関係は、はっきり言って難しい。
それは凌が男装をしているからというわけではない。千日を見る視点が、今まで出会った誰とも違うのだ。
海堂や若槻、その他のメンバーたちは千日を守るという名目はありながらも、それぞれの付き合い方をしてくれているように思う。喧嘩友達のような海堂、後輩のような若槻、近所のお兄さんみたいな九重、実は良いところもないではないセクハラ教師みたいな三船、素直じゃない弟のような中原。彼らは、天女とだけでなく、千日という一個人とも向き合ってくれている。あの神屋でさえ、何かというと天女天女と嫌みのようにうるさいが、それは千日の反応を面白がっているからのようにも思える。
だが凌は、一貫として天女とその守護者、という関係を崩そうとしない。千日が努力して得た地位でも何でもないのに、ひたすら公としての付き合い方に徹している。天女の呼称も崩そうとはしない。
凌と一個の人間と人間の付き合いがしたいという思いは、日に日に増すばかりだ。
「天女、申し訳ないのだが」
物思いに沈んでいた頭が、気遣わしげな言葉に覚醒させられる。気づけば、門のある辺りまで歩いてきてしまっていたようだ。
凌は、腕時計をちらりと見やって言葉を続ける。
「私はそろそろ戻らなくてはいけない」
「あ、うん。ごめんね、あたしもぼーっとしてて。訓練……ああ教練って言うんだっけ。がんばって」
千日は言って、足早に去って行く凌の後ろ姿を見つめた。
去り際の凌はどこか緊張した面持ちをしていたような気がしたが、気のせいだろう。
(凌ちゃんはやっぱ、難攻不落ね)
いつか絶対凌と恋バナができるくらいまで仲良くなろうと意気込んで、千日もそろそろ帰ろうかと辺りを見回した。神屋からは絶対門の外に出るなと言われている。千日も鬼に狙われている手前、わざわざ命を危険にさらすつもりはなかった。それに、門には警備の人間が常駐している。
「あれ?」
千日は背を向けようとした門に、再度目を戻した。
いつもなら居るはずの警備の姿がない。
(さぼり? ま、いっか。お腹減ったし、お昼もうとっくに過ぎてるし)
わざわざ神屋に報告して、警備の首を切らせるつもりもない。
千日は、のんきにあくびまでかますと、来た道をたどり始めた。
「千日ちゃん」
歩き始めて二分もしないうちに、後ろからやって来た人物に呼びとめられた。
「九重さん」
九重は、千日や凌と同じトレーニングスーツ姿でなく、いつものラフな服装をしていた。一般戦闘員と違い、七福神の教練の参加には個別のものもあるようなので、今は九重は教練での拘束は受けていないのだろう。
三船や中原は知らないが、九重や海堂などは門の外に出ることも自由なようで、もしかすると外から帰って来たところなのかもしれない。
「どっか行ってたんですか?」
「いや、でも今から行くつもりだよ。千日ちゃんもどう? ご飯は食べた?」
朗らかに笑んで、ごく当たり前のことのように言われたので、千日は一瞬反応が遅れた。
「ご飯はまだ……でもあたし外に出ちゃいけないことになってるんで。お誘いは嬉しいんですけど」
「ああ、神屋さんの許可は取ってあるよ。車だし、僕も一応腕が立つから、君のことは守れると思う。千日ちゃんだって、少しくらい気分転換したいでしょ」
そう言われて心が揺れないはずがなかった。
あの神屋が簡単に外出を許すことは意外だったが、あの男も多少は気が利くようになったのかもしれない。
トレーニングスーツ姿であるのが少し悔やまれるが、贅沢は言っていられない。これを逃したら、次があるのかすら怪しい。
「じゃ、お言葉に甘えて」
黒塗りでスモークガラスが張られた車の助手席に乗り込むと、間もなく車は発進した。
門を出るまで千日も九重も言葉が少なかったが、門を出てしばらくすると不意にふうという長い溜め息が聞こえた。
「九重さん、運転もできるんですね」
千日がどこか上機嫌な九重の横顔を見つめて感心したように笑いかける。
「ん? 千日ちゃんももうすぐ免許取得できる歳でしょ」
「ま、そうなんですけど。でもちょっと不安で。あたし、両親が交通事故で亡くなったので」
滅多に両親のことは口にしないが、九重になら話せる気がして、つい口を滑って行った。
九重は返答に窮したのか、言葉を返さない。
「あ、すみません。こんな話」
「いや、大丈夫だよ。僕も安全運転を心掛ける」
信号で車が停止したのを見計らって、九重が千日に微笑んだ。
しかし何故だろう。いつもなら安心を与えてくれるその笑みが、今はどこか冷えたものに感じられた。
すぐに青信号に変わって九重が正面を向いてしまったので、注視することはできなかったが、戸惑いは千日の胸に沈殿した。
「そういえばどこ行くんですか?」
「うん、千日ちゃんが知らない良いところだよ」
「良いところ?」
尋ねるが、九重は唇に薄い笑みを刻んだだけだった。
九重は普段、このようなやり方で話をはぐらかしたりしない。
違和感はそれだけではなかった。
(九重さんって所長のこと神屋さんって呼んでたっけ?)
九重が神屋のことを話題にしたのを耳にしたのは多くないが、そのどれもが所長という呼称だったように思う。
千日の背筋を、冷たい汗が伝い落ちた。
「そういえば九重さん、若槻の傷、どうなりました? ほらあの、お腹に傷を負ったやつ」
「あ、ああ。もう治ったよ。彼、回復力はピカ一だからね」
――違う。
九重の返答に、千日はついに慄然とした。
若槻が怪我を負ったのは、腹ではない。この前の人形鬼との抗争で腕や足といった部位に刀傷を負ったのだ。腹は全く負傷していない。若槻の怪我を直接診た九重が分からないはずがなかった。
「あんた……」
震える唇で、千日はどうにかそうのたまった。
恐れを消し去るように、九重の顔をした男を睥睨する。
「九重さんじゃない! 誰よ!」
いつの間にか渋滞に巻き込まれていたのか、車は走行をやめていた。
男は短い溜め息を吐いて、どこか面白そうに千日を見やる。
「カマでもかけた?」
その男の笑みにはもう、九重らしさの欠片もなかった。
同じ顔で笑ってはいるものの、あたたかみがまるでない。どこか残忍な印象すら与えるその表情は、見ているものに息苦しさを与える。
「わりと勘は良いんだ? すんなり騙されてくれたから、このまま気付かないかと思ったけど」
男は歌うように続ける。
千日は、己の浅はかさをなじった。
違和感はたくさんあったはずだ。警備が居なかったこと、二名という少人数での任務外の外出が許されたこと、九重とは微妙にずれた物言い。
「研究所の警備はどうしたの」
「警備? ああ、彼らはちょっと眠ってもらっている。安心しなよ。あんたが心配しているような酷いことにはなっていないから」
男の言い分を頭から信じるつもりはまるでなかったが、千日にはそれが本当であることを願うほかなかった。
「あんた、鬼? それとも人?」
「鬼だよ。人形ってやつ」
千日はシートベルトのバックルにさりげなく手を掛け、ふうんと低く呟いた。隙あらば、この車から降りて周囲に助けを求めるつもりだった。
「あたしをどうする気?」
注意深く鬼を観察しながら問うた千日の手に、鬼の冷たい手が重なった。
ぴくりと手が震える。
鬼はまるでいたわるように、千日の手をゆっくりと撫でた。千日の浅はかな思惑など、お見通しだとでも言いたげに。
「やめといた方が良い。あんたがまだ死にたくないなら」
明らかな脅しだった。
「――でも、今あたしが殺されてないってことは、あんたにはあたしが殺せない事情があるんでしょ?」
鬼の手をはねのけて千日が嗤う。
「殺すな、とは言われてるけど、傷つけるな、とは言われてない。それに、お優しい天女様なら、周りの人間が傷つけられるのなんて耐えられないんじゃない?」
言外に、周りの人間を人質に取ったと告げているのだ。
千日は唇を噛んだ。ぷつりと唇が切れて、血の味が舌に広がる。鬼を睨みつければ、彼は上機嫌に千日を見つめ返した。
為す術なく、千日は鬼がアクセルを踏むのを黙って見つめた。
「どこに連れて行く気?」
「良いところ。千日ちゃんも気に入るんじゃないかな」
九重の声色を真似て、鬼がそう嘯いた。
千日はますます鋭く鬼を睨みつける。
「九重さんみたいに振る舞うの、やめてくれない? 見てて、胸糞悪いから」
千日はそう吐き捨て、鬼から視線を外した。
この男は九重ではないと頭では分かってはいるものの、全く同じ姿を見ているとどうにも心が混乱する。
「ねえそれ、特殊メイクか何か? それともやっぱ鬼って変身とかできるの?」
我ながらピンチの状況で阿呆なことを尋ねているな、と思いながらも聞かずにはいられなかったのだから仕方がない。
千日の問いに、鬼は意外にも噴き出したようだった。
失礼なと思いつつも、高速に乗り、景色も特に面白いものでもなくなったので千日は渋々鬼を振り向いた。
「何? あたし変なこと言った?」
「あんた、度胸があるんだかただの馬鹿なのか、分かんないわ」
くしゃりと笑み崩れた顔は、九重のそれと同じものだった。
千日は内心で動揺しつつも、平静を保とうと努力した。――この鬼は、九重ではない。九重ではないのだ。
「どっちでも良いわよ。何でもいいからその顔、どうにかしてよ!」
我慢ならなくなった千日が、キンキンと耳に響く声で叫んだ。
鬼がしかめっ面をしながら耳を塞ぐ。そして彼は、ひどく面倒くさそうに口を開いた。
「どうにかって……自分の顔なんだから取り換えられるかよ」
「は……?」
何を言うのか、この男は。
「や、そろそろ本当の自分と向き合おうよ。あんただって他人の顔つけて話すの気持ち悪くないの?」
動揺のあまり、自分が何を言っているのだかもよくわからないままに千日は言葉を紡いだ。
「あんたこそ、本当の俺と向き合えば? 俺は特殊メイクも変身もしてないんだけど。つーか、そもそも鬼は変身とかできないし」
他でもない鬼自身がそう言うのだから本当なのだろう。海堂の言葉に嘘偽りはなかったようだ。
「へ? じゃ、何なの? あたし、何かおかしな催眠術でも掛けられてる?」
「そろそろそういう、俺の顔が嘘っぱちみたいな説から離れてくれない?」
サービスエリアに入って、鬼が車をバックさせ始めた。
助手席に回された手を意識して、確かにこれは女だったらときめくかもしれないな、などと乾いた気持ちで考える。しかしそんなことは今はどうでもいい。
「じゃ、あんたは何者なのよ」
鬼がシートベルトを外して、くつろいだ様子で千日に向き直った。顎をしゃくって千日にも同じようにするよう指示をする。
「九重令。これで満足? それとももっと別のこと知りたい?」
「へあ? だって、九重? どういうこと?」
「だから、あんたの知ってる九重は俺の兄貴。ま、双子だから兄貴もくそもないけど」
おもむろに携帯を取り出した九重――令は、メールか何かを打ち始めた。大方、千日を捉えたことを仲間にでも報告しているのだろう。
冷静にそんなことを分析する一方で、千日の思考回路はショート寸前だった。
「だって、あんたさっき――さっき鬼って……」
「あんた、やっぱ馬鹿なの? だからあいつも鬼。知っての通り、人に寝返ってるけどな」
「ええっ! えええぇぇええ!!」
その日の午後三時ごろ、辺りを憚らない千日の大絶叫が、兜京のとあるサービスエリアを揺るがすほどの大音声で響いた。
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