鬼の血脈 降誕と水死する恋[十一]



 雉門の意向で、玄関からでなく裏口に回ることになった。どちらにせよ、夜鬼が三号館を囲んでいたが、先に辿り着いていた海堂やその他鬼狩り及び戦闘員の総攻撃によって、その場にいた夜鬼の半数が骸となっていた。
 雉門は若槻を引きずりながら、難なく兇刃を逃れ、歩いていく。
 足を踏み出すたびに刀傷が痛む。ふらふらの足取りは、下手なダンスのステップか何かのようで、惨めさに拍車がかかる。吹き荒ぶ寒風はよりにもよって向かい風で、まだ塞がっていない傷に滲みた。中年駄目男の典型例みたいに、いつものろのろふらふら歩いている雉門にしては珍しく、なにかに追われてでもいるような早足だったので、千日は追いかけるのがやっとだった。
 すぐにセンターに向かうかと思っていたが、雉門は何故か人気のない研究所西部に迷いのない足取りで向かって行った。
 時折、夜鬼や戦闘員に出くわしては足を止めて息を潜める。なんだか千日もそうしなければならない気がして、それに倣った。
「寅さん……?」
 おそるおそる雉門の背中に呼びかけてみるが、返事はない。
(……なんなのよ)
 悪態を吐いて、千日はわけの分からない焦燥感を押しやる。
 研究所最西端にある、災害用備蓄倉庫の物陰まで来てようやく、雉門は足を止めた。
 千日を唖然とさせたのは、そこに着くなり、雉門が若槻の身体を解放したことだった。
 おかしな態勢を強いられていた若槻が首を大きく回して伸びをし、雉門はどこか安堵したような大きな溜め息を吐いて倉庫の壁に寄り掛かる。
「実は疑ってたんですけど、ちゃんと約束守ってくれましたね」
 事態が飲み込めずに硬直している千日を置いてけぼりにして、若槻が雉門に笑いかける。
「おいおい、俺ほど善良で品行方正な人間疑うなんて、ひでえぞ琢真」
 雉門も雉門で、勝手に話を進めてしまう。
「ちょ、なにこれ。どういうこと?」
 二人の間に割って入るように、千日が声を荒げる。
 すると、突如思ってもなかった衝撃がきた。
 抱きしめられたのだと理解するのに、千日のすり減った思考回路は数秒を要した。
 若槻のくたびれた緑色のカーディガンのVネック部分が、丁度千日の目の前にある。
「いっ! 痛いってば!」
 一番重い傷を負った右手を巻き込むことこそなかったが、ちょっとの衝撃でも傷に響くので、千日は色気もへったくれもない声を上げた。
 謝罪の言葉と共に、一瞬躊躇うように身体が離れた。けれどもすぐに、先ほどよりも数倍の力強さで若槻が千日の背に腕を回す。息も出来ないくらい強く、掻き抱かれる。
「すみませんでした」
「ちょ、いたッ、すみませんって言ってんだったら、放してってば」
「そうじゃなくて。姐さんを守るって、誓ったのに!」
 血反吐を吐くような、叫びだった。
 若槻の額が、千日の左の肩に埋まる。若槻が吐き出す息が、極端なまでに震えているのが分かった。吐く息が白く凝っているのとは別のわけに、気づかないでいられるはずもない。
「……これは、あたしの間違った判断が招いた結果だから、琢真が気にする必要はないよ」
 若槻の後頭部を一撫でし、千日は微笑った。顔を上げた若槻が、千日を見下ろし唇を強く強く噛み締める。
「俺、自分が情けないです。なんでこんな……それに、赦せない!! こんな、なにもかも、踏み躙るような真似するなんて! 鬼だからって、ヒトとは違うからって……! 先輩のこと、見損ないました。あんな人に憧れて、追いつきたいだなんて思ってたなんて」
「……琢真」
「殺してやりたい。姐さんを傷つけたぶんだけ、……それ以上に、苦しみのたうち回って、死ねばいい」
「琢真!」
 声を嗄らすように名を呼ぶと、若槻の眸を覆い尽くしていた黒い炎の気配が揺らいだ。
 千日は、若槻の胸倉を両手で掴み上げる。けれども、すぐに耐えられなくなって、頭を若槻の胸に押しつけた。
「言わないで。……あんただけは、そんなこと、いわないで」
 ぼろぼろこぼれ落ちる涙を取り繕うことも出来ずに、千日はその場に崩れ落ちる。
 若槻が目を瞠って、千日の身体を追いかけた。カーディガンを引きちぎるようにして脱ぐと、寒さなのか怒りなのか悲しみなのか、もうなんのせいで震えているのか分からない千日の上半身を、それで包んであやしてくれる。
「すみません。言葉が過ぎました」
 言って、若槻はそれまで黙ってやりとりを見守っていた雉門に目をやる。
「琢真、少しの間、見張りを頼む」
 鬼狩りの言葉に、若槻は素直に首肯した。気遣わしげな視線が千日に絡み、それが後を引いているかのような緩慢な所作で立ち上がる。それから顔を引き締めると、壁に背をついて息を殺して辺りを見渡せる位置まで歩いてゆく。
 雉門は若槻を見送ると、俯いた千日の正面に屈んで、その頬を両手で包み込んで上向かせた。涙のせいで貼りついていた横髪が、ぱらりと落ちかかる。
「千日」
 万感の思いが込められたかのようなその響きに、千日は引き寄せられるように視線を上げた。
「時間がない。単刀直入に言うぞ」
「うん……?」
「俺は、お前さんを逃がしに来た」
 千日は言葉もなく放心する。そんな千日の様子に、雉門は苦笑して言葉を続けた。
「正直、自分でもこの選択をするとは思ってもなかったし、こうしてる今もこれで良かったのかっていう自問で頭がいっぱいなんだ。けどな、ただ確かなのは、俺はお前さんたちが大事だってことだ。この、ヒトのエゴにうんざりしてるってことだ」
 言い、雉門は少し罰が悪そうな表情に転じた。
「いんや、違うな。そんなお綺麗な理由なんかじゃあ、ない。ただ俺は、お前さんや……幸光に罪滅ぼしがしたいんだろうな」
 俯いた顔が、ひどく弱弱しい、到底大人の男がすると思えない表情に変わっていく。
「寅さん?」
 千日は、雉門に感謝こそすれ、罪滅ぼしなどということをされる謂れはない。
 七年前、隣人として現れたことに姫位継承者の監視という裏があったにしろ、彼は真実ふた親を喪った千日の心の支えであり続けた。雉門が居なかったら、ここまで生きて来られたかも分からない。高天原に誘拐されて再会した後も、何かと雉門は千日を気にかけ、くだらない話にも付き合ってくれた。しかも、鬼狩りでありながら千日たちの逃亡に手を貸してくれるという。どうして雉門に罪を問うようなことがあるだろうか。
 そう強く思う一方で、わずかな隙間を伝って水滴が落ちるように、曖昧な不安が胸にしたたってゆく。
 揺れる眸を見据えて、雉門は千日の頬から手を放し、地面に片膝をついた。
「――千日、お前さん、幸光のこと、どう思う?」
 要領を得ない唐突な問いに面食らう。
「どうって……」
 雉門の顔をうかがうと、彼がとても真剣な表情をしていて、それで千日も腹を据えた。
「寅さんは所長のこと、少なからず大事に思ってるみたいだから、こんなこと言うの気が引けるけど……異常、だよ。特にあたし……っていうかお父さんとお母さんに対してかな。執着とか憎悪とか、そんな言葉じゃ足りないくらい、何かが修正できないくらいにおかしくなっちゃってるみたいに感じる」
 雉門は苦笑して頷く。
「それが、普通の感覚だ。あいつは、たしかにいかれ、、、ちまってる」
 そう言って、雉門は深く息を吐く。吐息が、細く長く、震える。
 千日は、立てた膝を握り締める雉門の掌に、己のそれを重ねた。
 まるで自身の膝を砕かんとするかのように、雉門の手には力がこもっている。
 節くれだって、傷跡の残る、固くて大きな手。千日はずっとこの手に守られてきた。こんな風に、体内を荒れ狂う不安や怒りやそういった自分ではどうにも抑えが利かない感情を屈服させるために、自身の身体を傷つける一面が、雉門という人間にあるだなんて思いもよらなかった。
 千日の手に勇気づけられたかのように、雉門が再び顔を上げる。
「幸光は、先代神屋家当主が、先の鬼とヒトの小競り合いで攫って来た女鬼を孕ませて出来た子だ」
 嘘だ、と空気に触れた声は、けれどもあまりに小さすぎて意味を成さなかった。
 もし雉門の言葉が事実なら、神屋はヒトの鬼狩りと鬼の女の間に出来た混血児ということになる。
「所長が……あたしと同じ? でも、あの人、鬼だって言うならあたしに逆らえないはずでしょ?」
「半分はヒトの血を引いているからな。多少の影響はあるだろうが、あいつは鬼の理の外で動くことが出来る」
 神屋の常人離れした身体能力も、鬼狩りの英才教育の賜物というだけでは理解しがたい得体の知れなさがあった。だから、雉門の言葉は意外なほど素直に、飲み込むことが出来てしまった。
「この話も、あたしだけが知らなかった周知の事実ってやつ……?」
「いいや。おそらく、鬼側で知ってる奴は居ないだろう。酷な話だが、幸光の母親は、無理やり連れて来られて孕まされ、幸光を産んで自害した。鬼狩りの中でも、知ってるのは神屋の人間と御三家の一握りの人間くらいだろうな」
 千日の顔が、にわかに曇る。女として、聞いていて気持ちの良い話ではない。
「どうして鬼狩りの棟梁が女鬼なんか。別に、好きだったからとかそういうんじゃないんでしょう?」
 雉門の口調からは、そこに愛情の欠片は一片も感じられなかった。案の定、雉門はゆっくりと頷く。
「鬼の血を取り込んで、強靭な生命力を持った鬼狩りを生み出したかった」
 千日の目に、剣呑な光が宿る。
 雉門の言い方では、まるで人間を人間と思っていないかのような、子供を道具か何かと勘違いしているような、そんな感覚を受ける。いくら神屋が千日の癇に障るいけ好かない男でも、あんまりな言い草だと思う。
 けれども鬼とヒトの思惑が渦巻くこの場所で、そんなことはきっと日常茶飯事なのだ。
 現に千日も、神屋にも桐谷冬克にも同じようなことを言われた。
 いずれ千日が子を成すとしたら、その子はこの血の宿命を負うことになる。否応なく。
 否――問題はいずれ起こるかもしれない未来の話に限られない。
 こうして高天原と狗馮の血を引いて生まれた千日も、もしかすると神屋の例と同じような思惑の下に産声を上げたのかもしれない。
 もはや千日に、信じられる拠りどころなんてものは、存在しないのだ。
 話の間中にも絶えず聞こえる銃声が、粘着質な胸中の軋みと混ざりあって、耳にこびりつくようだった。
「神屋家には、女鬼の他に、正妻が居てな。正妻が産んだ子が正当な後継ぎとして育てられていた。幸光は神屋家次男として、表向きは丁重に扱われた。けどまあその実態は、鬼嫌いのおやじさんには煙たがられ、母親は幸光を拒絶するように死に、御三家も腫れもののようにあいつを扱った。軽蔑されるかもしれんが、幸光付きだった俺の対応もそれと似たり寄ったりだった。幸光はただ鬼に対する武器になることを望まれ、その通りに育った」
「……今の神屋家当主は所長なんだよね? 長男は……亡くなったってこと?」
「ああ。腕は悪くなかったが、鬼との小競り合いがあって、ころっと逝っちまった。それで、長男付きだった一斗が幸光のとこに回されてきてな。一斗はもちろん、幸光が鬼の血を引いていることを知っていたんだが、あいつはそういうことにこだわる人間じゃなかった」
「だから……所長はお父さんに執着してる?」
 神屋にとって、一斗は初めて自分をヒトのように扱ってくれた人間だったのだろう。
 神屋の気持ちは、分からなくもない。千日も、ヒトであることに執着していた。
 ヒトでも鬼でもない己の拠りどころをそのどちらかに求めるのは、千日と神屋にとって当たり前の思考だ。
 そんな風に冷静に分析しながら、どうしてか千日の口はまるで違う言葉を吐き出した。
「どうして、所長の話なんかするの。今、この状況で」
 表情筋が強張って引き攣れる感覚を、実感する。
「千日」
 そう呼ばわる声はどこまでもやさしく、真正面から千日を見据える眸は矢のように鋭い。けれどもそれは、千日を縮こまらせるような類のものではなく、きわめて真摯な者だけが持ちうるある種の覚悟を体現したようなものだった。
「千日。一斗を――お前さんの父親を殺したのは、この俺だ」
 時が――そう、もし時というものが物質として知覚することが出来たのならば――この瞬間千日の目には、それが静止画のようにのっぺりとした顔をしているように見えた。
「え――?」
 それきり、言葉が続かない。雉門が口にする言語が、どこか遠くの異国のもののようにさえ聞こえる。
 思わず、縋るように雉門を見上げた。フレーム越しの焦げ茶色の眸はどこまでも澄んでいて、とてもではないけれど冗談を言っているようには見えない。
 泣き出しそうに歪んだ千日の目にかち合って、雉門はこちらの方へと手を伸ばしかけ、それを引っ込めた。
 まるで、千日に触れることを罪とでも思っているかのような仕草だった。
「十八年前の大規模な抗争――後に人鬼事変と呼ばれることになるあの戦いの最中、一斗は幸光や俺の前から姿を消した。高天原千里が消えたのも、同時期だ」
「……じゅうはちねんまえ」
 千日が生まれたのは、十七年前。
 千夜は、千里と一斗は戦場で恋に落ちたと言っていた。それは、この人鬼事変の時のことを言っていたのだろう。
(お母さんは、お父さんと、逃げたんだ)
 ……守るべき、庇護すべき鬼たちをすべて投げ出して?
 千日は、千里の鬼姫としての顔を知らない。ごく普通の母親として、妻としての姿しか見たことがない。だから、本当のことなんてまるで分からない。
 けれど、鬼姫となった今、大好きだった母親に抱くのは、憤りだった。鬼姫なのに、しかも母は稀代の鬼姫と謳われるほどの力さえ持っていた。母はきっと、千日より、あるいは病弱だった千夜より、鬼姫としてずっと上手く立ち回れたはずだ。なのに、どうしてそんなことが出来るのかと思った。
 でも、母親に対して疑いを持つという行為はまるで、膿んだ傷を抉るような痛みを千日にもたらした。だって、鬼を捨てた鬼姫その人は、世に二人と居ない、千日のたった一人の母親なのだ。母も父も、千日に取ってかけがえのない家族で、誰より愛情深い人たちだったと記憶している。
 千日はただ、意識を繋ぐことに集中する。そうでもしなければ、己の存在そのものが、揺らいでしまうような気がした。
「失踪後、一斗は死んだと思われていたが、鬼の血の掟が千里の生存を示していた。高天原は勿論、鬼狩りも必死で行方を探ったよ。だが、しばらくは所在が分からなかった。多分、場所を転々として、お前さんを育てていたんだろう」
 不意に叫び出したい衝動に駆られ、けれども自分が何を言葉にしたいのかも分からずに、千日は荒い息を吐いた。多分きっと、今口を開いても、獣のような唸り声しか捻り出せない。
「人鬼事変は結局痛み分けで、おびただしい数のヒトと鬼が死んだ。それで、長い時を双方の療養に当てることになった。鬼姫の位は千里の妹・千弥に移り、千弥も子を成した」
「……千夜従姉」
 彼女もまた、動乱の時代に生まれ、生きた。ただ、鬼という種族のために。それ以外のものには目もくれずに、鬼のために身も心も捧げた。
 千日にとって、鬼姫が本来あるべき姿を体現したのが、千夜だった。
「高天原千里と一斗が再び表舞台に出てくるのは、八年前の高天原粛清でのことになる」
 ――高天原粛清。九重の口からも飛び出した言葉だ。その戦いの中で、父も母も死んだと聞いている。
「高天原粛清は、おやっさんが鬼に殺されたことに端を発する抗争の俗称だ」
「……所長のお父さんが鬼に殺された?」
 にわかに信じることが出来ない話に、思わず眉根を寄せる。
 鬼という種族は、その長い歴史の中で、徐々に生きる場所を、生きる術を喪っていった。現代では、ひっそりと息を殺して、時にはヒトと交わりながらもその存在が悟られることのないように生きてきた。鬼たちは、移りゆく時代の中で、次第に溺れていくような息苦しさを感じていっただろう。いつの頃からか、鬼は征服する側からされる側へと転落した。
 だから、必要以上に鬼狩りを、ヒトを刺激するようなことがほんの八年前に行われたというのは意外だった。そんな強硬手段に打って出れば、必ず鬼狩りの怒りに触れることは目に見えていた。
「粛清は――幸光が首領になって初めての戦は、鬼とヒトの間にかろうじて成り立っていたバランスを崩した。おそらく多くの鬼が死――あるいは隷属化を覚悟し、鬼狩りは勝利を確信した。七年前、鬼とヒトの争いにようやく終止符が打たれようとしていた」
「でも、終わってない……」
「お前さんの存在だ」
 千日は弾かれたように顔を上げた。
「一斗は、お前さんの存在をちらつかせて、ヒトに鬼が兵器たりうると幻想を抱かせた」
「……なるほどね。それで、均衡が保たれたってわけ」
 自然、唇が奇妙に歪んだ。
 今この瞬間、かろうじて形を保っていた幸せな家族の肖像が、音を立てて崩れ去った。
「……千日」
「良いの。道具扱いは慣れてる」
 ことさらに明るく振る舞う千日に、雉門は咎めるように睨んだ。
「高天原千里と一斗の本意は俺の知るところじゃない。だが、一斗は最後まで千日を鬼狩りに引き渡すことを拒んだ」
 それが何を示すのか、千日には分からない。
 どうして母は千日を産んで、父は千里と逃げたのか、今となっては誰ひとり知るよしもない。
「……高天原千里は、錯乱した妹の千弥と相討ちになって死んだ。鬼狩りには、お前さんの身柄確保の命が下った。一斗の生死は問わず、だ」
「だから、寅さんがお父さんを――?」
「幸光の――あいつの精神が日に日に壊れていくのを感じていた。一斗の幻を見ては、殺意を漲らせたかと思うと、次の瞬間にはまるで友人のような口ぶりで幻に語りかけている。このままじゃ、あいつは駄目になる。そう思って、幸光が一斗を狩りに出てくる前に、俺の手で殺した。鬼狩りとしての任務のためじゃない。俺は、自分が安心したいがために、お前さんの親父を……騙し打ちなんて卑怯な手段を使って殺したんだよ」
 雉門はそう言って、震える吐息を吐きだした。その間も、千日から目を逸らさない。
「あのときの俺は、一斗をこの世から消し去ることさえすれば、幸光を救えると信じていた。それが正義だと、頑なに思い込んでいた。そんな馬鹿げた妄想のために一斗は犬死にして、結果として幸光はあの病気を悪化させた。千日は鬼狩りの鎖に繋がれて、なにもかもがどん詰まりに陥った」
「……寅さん」
「千日。一斗がなにを思い、なんのためにその命を賭したのか、その答えを永遠に奪ってしまったのは、俺だ。だから、こんなことを言うのは赦されないと分かっている。だが……」
 そこまで言って、雉門は言葉を詰まらせた。千日は、雉門の手を強く握った。
「いいよ、言って」
「俺は、お前さんに生きていてほしい。千日、お前さんの欲する未来を、見てみたい。きっと一斗も、」
 そこまで言って、雉門は顔を上げた。
「限界だな」
 くしゃりと笑って、雉門は立ち上がった。
 振り向けば、若槻が声を上げている。どうやら少し前から千日たちに警告をしていたようだ。思いのほか話に夢中になっていたのか、千日はようやく事態に気がついた。
 若槻が相手をしているのは――海堂だ。どうやら異変に気づいたらしい。
 そしてその横を通り抜けて、胡散臭い笑顔を貼りつけて歩いてきたのは、鬼狩りの首領――神屋だった。
「やあ、寅、天女様。夜分にこんな寂れた場所で密会とは、さぞや愉快な甘ったるい用件なんだろうね?」


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